東京を脱出し、熊本県産山村で自給自足の暮らしに安寧を
見いだした大谷真洋さん

当たり前の話だが、現代ではお金がないと甚だ窮屈な思いをしなければならない。特に都市では、お金がなくては一日も暮らせない。昼も夜も、働いていても遊んでいてもお金のことが頭から離れない。

証券会社でしのぎを削り、その後、コンビニ経営に転身した大谷真洋さんは、お金の計算から解放されることのない日々に疑問を持ち、本来の人間の生き方を求めるようになった。思い切って自分の人生を変えたいと思った。自然の中で農業をしながら、堅実な生き方をすることにあこがれた。しかし、今の日本にお金のことを考えないで暮らせる天地はあるのだろうか。

東京の暮らしは本来の人間の生き方ではない

 11年前、東京の池袋でコンビニを経営していた大谷真洋さん(42)は、熊本県の産山村に移住した。

「コンビニは、それこそ年中無休、一年365日働きづめで、一日も休む暇はありませんでした。毎日、毎日がお金の計算です。コンビニは、はた目からは繁盛しているように見えても競合店が多過ぎて、実際は赤字の店がかなりの数になるのではないでしょうか。

アルバイトの確保に頭を悩ませ、万引被害に片時も気を緩めることはできません。コンビニは委託販売ではなく、すべて買い取りですから、弁当などの廃棄ロスも膨大なものになります。本部に支払うロイヤルティーも経営を圧迫します。それでも死にものぐるいで働いたおかげで、開業した年は赤字でしたが、3年目からようやく経営が安定しました。

コンビニの経営形態はさまざまで、店舗用の土地建物を自分で用意して始める人もいますが、私の場合は本部から店舗も土地も借りて始めましたから、開業資金は数百万円程度で済みました」

 コンビニは、加盟店と本部の間で、事業の細部まで契約を交わして展開する業態である。あくまでもマニュアルに沿った経営をしなければならず、独自の仕入れなどはもちろんできない。本部の会計システムによって徹底した経営介入が行われ、経営者の独自性や意思決定はないに等しい。鵜飼いの鵜匠と鵜の関係に例える人もいれば、現代の奴隷制度という人もいる。何しろ、「FCコンビニ加盟店全国被害者の会」という会も結成されているぐらいだから、そのすさまじさが想像できるというものだ。

コンビニの経営は10年から15年の契約が一般的で、それ以前にやめるとなると多大な違約金を請求されるシステムになっている。大谷さんは、3年でコンビニを円満にやめることができたのは運が良かったという。

「コンビニは加盟店にとっては厳しい条件でしたが、私がそれを了承して加盟した以上は、自分の責任で徹夜して働き、それなりの成果をあげました。そのことを本部が認めてくれたのだと思います。それに本部が作成した売り上げ予測が現実とは違っていても非難しなかったことも、辞めさせてもらえた理由だと思います」

 大谷さんはコンビニを開業する前は、新卒で証券会社に就職、7年間勤務していいた。ここも、コンビニに劣らず厳しいところだった。

「仕事は厳しくはありましたが、給料は良かったですよ。毎日のように同僚たちと六本木などを飲み歩いていました。しかし、証券会社というのは、お金がお金を生み出すようなところで、金銭感覚がだんだんおかしくなってくるんですね。ディーリングルームにもいましたから、世間のことは何も知らない若造でも秒単位で巨額のお金を動かすことができるのです」 

大谷さんは、お金をコロコロ転がして収益を上げている証券業界に疑問を持つようになった。“自分は一体何をしているのか。このまま定年を迎えて終わる人生に後悔はないのか”と悩むようになって、入社7年後に独立を決心、コンビニ経営に挑戦したのだった。

「証券会社を辞める時は、コンビニはお客さんから少額のお金をいただいて、コツコツと積み上げていく業種だと思っていたのですが、実際は売れるものなら何でも売るという過剰消費を進める業界でした。それに、コンビニは食品を扱っていながら、食品は命の糧となるものという発想ではなく、とにかく売り上げを伸ばさなければなりませんでした」

アルバイトの人員が見つからない時は、日中に働いた上に、深夜でも店に立たなければならないこともしばしばだった。それに不規則に店に立たなければなせない夫人の昌江さんまでアトピーやぜんそくに苦しむようになった。近くにあった豊島区の図書館に通って、いろいろな本を読んで勉強した。また、大谷さんのお母さんが、食生活改善の啓蒙活動で有名な東城百合子さんに学んでいたことから、玄米食がいいということが分かった。

「店頭には、着色剤、酸化防止剤、増粘剤、乳化剤などの添加物が入っている食品を並べておきながら、自分たちは玄米食をしていることに矛盾を感じるようになりました。矛盾のままに生きていくことが苦しくなって、農業をやりたいという気持ちが芽生えたのです」

 大谷さんは都会脱出を決心したのである。

農家に住み込んで、基本から学んだ

 都会を脱出し、地方で農業をやりながら新しい人生をやり直したいと思っても、どこにも、つてはなかった。第一、都会で生きてきた大谷さんには、土に親しんだ経験もなかった。

「農業をやっている親類も友人もいません。初めは本を読みあさりました。とにかく新たな生き方のできる場所探しを始めました」

 そう願う大谷さんのアンテナに飛び込んできたのが、阿蘇市だった。

「農業にも全くの素人、完全なる無知ですから、すべて一から学ばなければなりません。それを教えてくれるところを探していた時、たまたまテレビで、作家の辺見庸さんがコーディネーターをしていた『アジアの食糧』という番組を見ました。山口力男さんという方が出ていて、阿蘇市の赤水というところで『阿蘇百姓村』を経営し、研修生を受け入れていることを知ったのです」

 大谷夫妻は東京での生活を清算すると、山口さんのところに駆け込んだ。夫婦で住み込んでの研修が始まった。

「住み込んで働きながら教えてもらうのですから、給料はありません。その代わり、家賃と食費は無料です。初めて農業を学ぶ人間にとっては、ありがたいことでした」

 住み込みで農業を学ぶというのは、賢い選択だった。農産物の栽培方法だけではなく、農具の名前さえ知らない大谷夫妻は、重いものを担ぐ時の腰の入れ方から、ロープや縄での縛り方まで、農業の基本を学ぶことができた。また、農機具の扱い方、機械が故障したときの修理、農家の一日のタイムスケジュール、隣近所との付き合い方まで、農業を取り巻く環境のすべてを吸収することができた。土を耕すだけでなく、家屋の水回りの修理や壁や屋根の修繕まで経験できたのも後々、大いに役立った。

「私は山口さんのところを振り出しに、産山村に落ち着くまで、阿蘇管内の6軒の農家を転々として住み込みました。なぜなら、何を主にしているかで農家のスタイルは全く違います。無農薬の農家もあれば、在来農法の人もいます。稲作農家、畑作農家、肥育中心の畜産農家から酪農農家まで、いろいろな農家に住み込んで勉強しました。農家は高齢化で人手不足ですから、無報酬で働く人は歓迎されるんです。私は最終的には有機農業で野菜を作りたいと考えていましたが、最初から自分の意思を前面に出すことは避けて、住み込み先の農業をとにかく学ぶことにしたのです」

 3年後、何とか一人でもやっていけるのではないかという自信がついて、産山村に居を構えた。

「最初は飯場の物置小屋のようなところしか空いていませんでしたが、家内と二人で床を張り、壁を補修しながら住みました。間もなく村営住宅の抽選に当たって、ここに引っ越すことができました」

 産山村で暮らすようになってから、労働をすべてお金に換算して暮らすのが当たり前の都会生活の考え方が、少しずつ消えていった。

 大谷さんは、独立して産山村に居を構えることになってから、あらためて有機農業を学ぶために、南阿蘇村(旧長陽村)の「ぽっこわぱ耕文舎」に住み込んだ。耕文舎は、フランス人のドニー・ピリオ、假野祥子夫妻が1982年にオープンしたもので、バイオダイナミック農法を実践している。バイオダイナミック農法というのは、オーストリアのルドルフ・シュタイナー博士が提唱したもので、天体の動きと宇宙との関係に基づいた農業暦に従って、種まきや収穫などを行う自然と調和した農法である。

遠回りしているようだが、早急に結論を急がない大谷さんの考え方は、田舎暮らしを目指す人には大変に参考になる。

「産山村に住むようになった最初の年に、長女の百合子が生まれました。今年で8歳、小学2年生です。その後に長男の光広が生まれました。今、3歳です。二人とも健康そのもの、生まれて以来一度もお医者さんにかかったことがありませんし、薬も一度も飲んだことがないんです。不思議なもので家内のアトピーもすっかり治ってしまいました」

10万円もあれば十分

 さて、それで大谷家の産山村での生計は成り立っているのだろうか。

「いま耕作しているのは7反です。米は1反、残りはダイズ、アズキ、ヒエやタカキビなどの雑穀類、ソバ、トウモロコシ、サトイモ、サツマイモ、それに日常に食べるナスやキュウリ、トマトなどの野菜です。みそも造っていますから、食料はほぼ100%自給自足です」

  今のところ大谷さんはこれ以上、農地を広げるつもりはない。農地を拡大すれば必然的に農機具が必要になってくる。農機具を購入すれば借金が増える。借金が増えれば、また農地を拡大しなければならない。農地を拡大すれば、今度は大型の農業機械が必要になってくるという悪循環に陥ることを知っているからだ。

「借金のために働くということになれば、何のことはない、昔のコンビニ経営と同じことになってしまいます。それよりも、小規模でもいいから、私の農業を理解してくれる少数のお客さんと付き合っていきたいと思っています。最近は自家消費以外に、熊本市で有機野菜を販売しているグループに出荷できるようになりました」

 しかし、絶対的に現金が必要なものもあるだろう。家賃、光熱費、電話代、車のガソリン代、税金や保険も払わねばならないし、子どもたちに学用品も買ってやらなければいけない。その現金はどうやって得ているのだろうか。

「家計費の中で大きなものといえば、食費、医療費、教育費だと思いますが、幸いなことにわが家ではこれらに支出するお金はほとんどなく、月10万円もあれば十分です。もちろん、ぜいたくはできませんよ。ぜいたくはできないけれど、与えられた環境の中で楽しむことを発見していけばいいんじゃないでしょうか。

ただ、10万円といいますが、この辺りで10万円を稼げる仕事はめったにありません。近くの町に毎日働きに出れば10万円は稼げますが、それでは何のために田舎に来たのか分からなくなります。あくまでも農業をやりながら、空いた時間で、現金収入を考えるということになります。

 私の場合は週に3日は自分の畑を耕して、残りの4日は稼ぎに出ています。稼ぎの種類は、地元の人たちから、“ちょっと手伝ってくれないか”と声が掛かったら、すべて引き受けることにしています。山林の伐採、牧草の刈り入れ、稲刈りの手伝い、雑用でも何でもやります。今は役場の地積調査の助手を2カ月ぐらい手伝っています」

 大谷さんが3年間、いろいろな農家に住み込んだのは大いに役立った。牧草を刈り取る大型機械も運転できるし、間伐や除伐もできるから、近隣の農家から重宝されるようになっていたのである。

 地元の人が仕事を依頼してくる時、村の人たちは、時給は幾らで何時間働いてほしいとか、支払いはいつになるなどということは明言しない。

「東京ではあらゆる労働は、すべて賃金に換算されますね。依頼する側は時給は幾らだとか、日当は幾らで支払日はいつとか言います。仕事を受ける側はそれは割がいいとか悪いとか判断して働くのですが、村ではそうとも限らないのです。産山村に住み始めた当初は戸惑いもありました。頼まれた仕事を引き受けても、本当に支払っていただけるのかどうか心配になっちゃうんですね。しかし、村には都会とは違う慣習があることが分かったのです。支払日はいついつと約束はしないけれども、それなりに労働の対価は支払われます。時にはお金ではなく、米だったりしますけれど、ただ働きはありません。忘れたころに、“これ、この間の謝礼”と必ず持参してくれますから、一見ルーズにみえますが、そのルーズさが村の暮らしともいえるのです。 

私が産山村の感覚になじんで、不要な計算をしなくなったのは、ここ3、4年ですが、お金の計算をしなくなった時から村の暮らしが非常に居心地のいいものになりました。

移住したてのころは、毎月の収入をいかにして稼ぐかを綿密に計算し、支出とのバランスをいかに取るかに頭を悩ませましたが、村の暮らしはそのような計算外のところで成り立たせることができる世界であることが分かるようになったからです。

ですから、もし、病気をしたら治療費は幾ら掛かるとか、子どもが高校、大学に行くようになったらどのぐらい必要になるかとか、私は深刻に考えません。村には不思議な底力があるのです」

お互いに助け合う精神が産山村にはまだ残っている。村人と仲良くしていれば、決して飢えたり孤立したりすることはないという安寧を得られるというのである。

「都会の人は、村の人間関係がうっとうしいという人もいるけれど、村で快適に暮らすためには村の流儀があるのです。私は、今では村の人間関係のほうが合理的、理にかなっているのではないかと思うようになりました。

先ほど、月に10万円ほどの現金収入は要ると言いましたが、毎月10万円というわけではなく、年にならしたら大体月に10万円ぐらいという意味です。ですから、5万円しか収入のない月があっても、ほかの月に15万円、20万円の収入があればいいわけです。もっと言えば、暮らしのサイクルを1年では考えない、5年、10年のロングでつじつまが合えばそれでいいんです。都市での生活は毎日が決済ですが、村では決済日は柔軟なのです。村はそのようにできています」

 大谷さんが村に溶け込んだことを実感したのは、最近、開催した東城百合子さんの講演会だった。東城さんは、大正14年生まれで、戦前に栄養士になり、ご自分の重症の結核を玄米自然食で克服した経験をお持ちの方である。戦後の沖縄の健康改革運動に力を注ぎ、昭和39年からは東京で自然食料理教室を主宰し、食生活改善の啓蒙活動を展開してきた。

東城さんを尊敬していている大谷さんは、東城さんの話をどうしても産山村民や村外の人たちにも聞かせたかった。

「役場は予算が取れないから難しいと言ったのですが、私は自分たちでやることを決断しました。しかし、準備を進めるうちに役場は会場は提供してくれるし、機材も無料で貸してくれました。農業の研修をしている時に知り合った新しい生き方を求める若者たちも全国から40人も集まってくれましたし、村民も積極的に協力してくれました。

結局、1700人の人口なのに200人を超える方が参加してくれて大成功でした。本当に、役場にも村民にも感謝の気持ちでいっぱいでしたね」

 十数年前は、1秒単位で株の売買をしていた人であり、日々、得か損かの日常生活に身を置いていた人とは思えない価値観の転換である。その価値観の転換を、結果的に産山村が受け入れてくれた。大谷さんは、今は少しの後悔もないばかりか、「もう都会では暮らせない」と言うし、昌江さんも「東京には戻りたくない」と言う。

 お金の重圧に対抗し得るエネルギーが、村本来の暮らしにはあるようだ。

産山村は、熊本県の最北東端で、大分県との県境に位置し、東・南部を大分県竹田市、北西部を阿蘇郡南小国町、西・南部を阿蘇市に接している。阿蘇山や九重火山群および祖母山に囲まれた高原型純農山村。東西6km、南北10kmで総面積60.60平方キロメートル、その82.7%を山林と原野)が占めている。熊本市までは車で1時間30分、豊肥本線宮地駅まで車で30分。北方にやまなみハイウェー(九州横断別府阿蘇道路)、南方に国道57号線が走っている。農業と畜産と観光が盛んで、人口約1700人。

ビジネスの極意は、“人に与えて見返りを求めない”という仏教の教えにある」株式会社サラダコスモ 中田智洋社長

11月3日、本誌主催の「サラダコスモ視察ツアー&交流会」には43名の方々にご参加いただきました。当日の中田智洋社長の講演の要約と、交流会の模様を報告します。

商売は品質と理念がいちばん大切。

皆さん、今、スーパーに行って100円以下のものってありますか。それほどないのではないでしょうか。その中で、私が作っているモヤシは1個30円という値段です。場合によっては特売で19円、2個で30円なんていう価格で販売されるというつらい事もあります。こんなに安いモヤシを売っていますが、年間の売上げが55億円まで成長できました。

なぜこんなに売れるようになったのでしょう。それは無農薬、無添加にしたからです。私が、大学を出て地元に戻り、ラムネをつくっていた親父を手伝うかたわら、モヤシ作りを始めたのは23歳の時です。当時、モヤシは漂白するのは常識でしたが、私はそれをきっぱりやめました。添加物を入れて、1週間置いても腐らないモヤシが、体にいいわけはありませんからね。おかげで売れるようになりました。モヤシを作っている会社としては、全国で2番目と3番目の間ぐらいの規模です。

なぜ、無添加、無農薬にしたかといえば、それは商品政策です。こうしたらもっと消費者の皆さまに受け入れられるのではないかという判断です。しかし、その判断を支えたものは、食品にかかわっている者として、いいものを作りたいという強い思いがありました。その強い思いは、すなわち理念だと思います。理念があれば、商売は努力する以上のいい効果が生まれるものだと思っています。理念は、働く人たちの人生観でもあります。

私は、お金の大切さは骨身に染みています。おやじは商売人でした。そのおやじを手伝ってラムネを作っていましたが、お金の重大さはよく分かっています。お金がなくなれば命がないも同然というのは、ある意味で真理でしょう。

だから、事業は絶対に赤字にしてはいけないのです。赤字にしてはいけませんけれど、私には、盆暮れの付け届けをしたり、ゴルフ接待などで売り上げを伸ばそうという考えは全くありません。サラダコスモには、接待交際費というものはほとんどありません。接待で獲得した取引先は、それ以上の接待をする会社が現れれば取られてしまいます。また、義理で買っていただいたお客さんは、より大きな義理を持つ会社が現れれば、そのお客さんには逃げられてしまうものです。商売でいちばん大切なのは、品質と理念、お金はすがすがしい気持ちで稼げるようにしなければならないと思っています。すがすがしい気持ちでお金を得るための極意を、本日は皆さんにお話しさせていただきます。

差し上げて見返りを求めない心

その極意は仏教にあると思っています。私は、その極意を駒澤大学という仏教の大学に4年間籍を置いたおかげで会得することができました。仏教の奥義を極めるということは並大抵なことではありません。お坊さんたちがいろいろ荒行をしますね。一千日の間、朝4時に起きて山を駆け降りたり、1年間も座禅を組んだりするお坊さんもいます。命にかかわるような荒行を終えたお坊さんが、何か悟るものがありましたかとインタビューされて、「よく分かりません」と答えていました。それほど難しい。簡単には極意を会得することはできないもののようです。それが、ありがたいことに大学では4年間、週1時間の仏教の授業に出席しているだけで、極意はこれだと教えてくれるんです。教えてどんどん卒業させなければ、大学は学生であふれてパンクしてしまいますから、大変なんです。

こんなことを皆さんに申し上げるのは釈迦に説法で大変恐縮なのですが、お忘れになっているかもしれませんので、復習という意味で申し上げさせていただきます。

それでは仏教の極意は何かといったら、「与えて見返りを求めない」「差し上げてお返しを期待しない」ということだと思います。2600年前には、まだ貨幣というものがなかったと思いますから、マネーが全盛の現代を想定してお釈迦様はそうおっしゃったわけではないでしょうけれど、そう教えております。

世の中には修行もせず、本も読まないのに極意をつかんでいる人がいます。本日は女性の方も大勢お見えですが、例えば若い娘さんがご縁があって結婚したとします。私にも娘が3人いますから分かりますが、今どきの若い娘は部屋の中は散らかしっ放し、朝は起きて来ない、親の仕事は手伝わない、メールに夢中、もうめちゃくちゃです。しかし、ご縁があって結婚して、赤ちゃんが生まれると、がらっと変わるんですね。これは、もうスゴイ! 2時間ごとにお乳を飲ませる、おむつを取り替える、むずかる赤ちゃんを寝かしつける。横着な娘がすっかり母親になる。

そして、赤ちゃんが病気になって、運悪く腎臓に欠陥があることが医者から告げられたとします。そうすると母親になった娘さんは、惜しげもなく自分の腎臓を差し出します。自分は死ぬかもしれないということを恐れない。それこそ、与えて見返りを求めない、仏教の極意です。

父親はどうでしょうか。お医者さんに子どもの病名を告げられると、下を向いてしまう。医者の目を見ないで、「先生、最近は医学が進歩して豚の腎臓でも代替がきくと聞きましたがどんなものでしょうか」なんて質問したりする。母親とは大きな違いです。

「差し上げて見返りを求めない」というのは、まさに母親の子どもに対する気持ちだと思うのです。

 皆さん、この母親の気持ちを仕事にスライドさせてみたらどうでしょうか。大抵の仕事はうまくいくように思うのです。

 私は、モヤシやカイワレ大根、ブロッコリーやソバの新芽などのスプラウト野菜のほかに、昨年からチコリを作り始めました。なぜチコリなのか、それはチコリを作っている同業者がいないということもありますが、私は日本人に1年間に1本のチコリを食べてもらいたいという夢があるのです。それにチコリは、ヨーロッパでは日本のモヤシ並みにポピュラーな野菜です。チコリの競争相手がいないから、どこの市場でも八百屋さんでも歓迎してくれます。私にキャベツやトマトを作れと言われても、できません。しかし、チコリはモヤシと同じ方法で栽培できるのです。私の得意分野です。

チコリを工場の栽培室に移す前のチコリ芋は、耕作放棄された遊休地50町歩をお借りして栽培してもらっています。チコリの栽培については後ほど、工場見学で見ていただく予定です。チコリ芋は育てるのに、日本でははじめてのことばかりです。昨年は雑草がはえ大変苦労しました。50町歩に生えた雑草を手で抜く作業は半端じゃありません。この遊休地の活用は、いざとなった時に、その農地に何でも植えられるような土壌にしておきたいという気持ちもあります。

本日は、皆さんに私どもが造っているおしょうゆ2本とおみそ2箱をおみやげに差し上げます。お帰りにお持ち帰りください。できたての新鮮なものです。無添加のものですが、しょうゆには発酵を抑えるためにアルコールだけは入れてあります。アルコールを入れなければ、皆さんの帰りの車の中で、膨張して爆発して車がしょうゆまみれになってしまうかもしれませんからね。おみそも、容器に穴が開いていますでしょう。こういうみそはスーパーにはめったにありません。高級なものにはあるかもしれませんが、これも、発酵したガスを抜くために開けてあるんです。ですから、皆さんに売れ残りの商品や賞味期限切れのものを差し上げるんじゃないんです。最高のものを差し上げるんです。

こういうことを言えば、いかにも私が仏教の極意を会得しているかのようですが、実はまだまだですね。その証拠に皆さんのおみやげの袋の中に小社のパンフレットを入れてあります。“よかったら買っていただけませんか”“お歳暮にいかがですか”という気持ちがあるんですね。だから私が悟ったと思っているのは極意ではなく、“極意もどき”、まだまだということになります。

皆さんに差し上げるこのしょうゆとみそはアルゼンチンで栽培している大豆で作っています。7年前に、岐阜の「ギ」とアルゼンチンの「ア」の二つを結び付ける意味で「ギアリンクス」という会社を設立しました。470人の方に株主になっていただいて、1億円の資本金でスタートしました。400万坪という広大な農地を取得して、現地の日系の方々に栽培してもらっています。日系の方々はまじめで誠実で素晴らしい働きをしてくれます。私は、この人たちには故郷に錦を飾ってもらいたいと願っています。

日本の食料自給率が40%を切りました。いくらお金があっても、私たちはお金で他国から食料を買えない時代が来るかもしれない。天候異変や温暖化でその可能性は非常に高いと思っています。そうなった時、少なくとも岐阜県民だけは飢えさせたくないという気持ちからスタートし、緊急時の日本国民の食糧確保という高い志(こころざし)でやっている事業です。

 食料を自国で調達できずに他国から買ってくるというのは、情けないことだと思うのです。

だから、海外で安く作って、日本で高く売って、ひともうけをと考えているのではありません。この会社は創業して7年たつのですが、6年間は赤字でした。やっと今年から黒字になりました。

皆さん、本当にきょうはよくいらっしゃいました。わが社をよく見ていってください。高齢の方に働いてもらっています。体も頭も元気そのもので、働く意欲も旺盛なのに、仕事がないというのはもったいない話です。高齢の方の応募がない場合のみ、若い人を採用するようにしているのです。

ここは日本最大のチコリの栽培工場と世界初と言われるちこり焼酎蔵がありますが、地元農家のおかあさんたちが自分たちで作っている野菜を持ち寄って料理している農家手づくり家庭料理レストラン『バーバーズダイニング』もあります。冷凍のものや作り置きしたものはありません。肉と魚はほとんどありません。肉と魚は作っていないからです。盛りつけは素朴ですけれど、味と量は太鼓判を押せるものです。当社が作っているチコリや焼酎の他に、近隣の農家の方が栽培している農産物も販売しています。 お土産などで人気の栗きんとん&和スイーツの新杵堂も入っております。ですからここは生産施設でもあり、観光施設でもあるのです。

どうぞゆっくりしていってください。

                 ※

●中田社長は、ユーモアたっぷりに参加者を笑わせながら、ビジネスの要諦を話してくれた。参加者全員におみやげとして、しょうゆとみそをいただいた。

社長は、仕事はできるだけ公共性の高いもの、社会的な意義のあるものに挑戦したほうが働きがいがあると言った。しかし、意義があっても社員に給料を払えないようではいけない。社会的な意義と経済は両立させなければいけないと断言した。本誌にとってはいちばん耳の痛い話であった。

■?サラダコスモ 〒509-9131 岐阜県中津川市千旦林1-15 TEL0573・62・1545

 FAX0573・62・2170  http://www.saladcosmo.co.jp

長野県阿智村横川郷で交流会開催

 限界集落だからこそ味わえる山里の風情

サラダコスモの視察を終えた一行は、中津川市から長野県阿智村の横川郷に移動した。サラダコスモが中津川I.Cに隣接しているので、中央高速道に入るには甚だ都合がいい。上り方面に向かって一つ目が園原I.C。インターを出て間もなく、最初の橋を渡ると横川郷に続く道がある。くねくね道を4km登ったところに横川集落があった。

戸数が19戸で住民は33人、平均年齢が71歳で、最高齢は92歳、最年少は42歳。今はやりの言葉でいえば限界集落だが、こういう場所だからこそ本当の山里の旅情が味わえる。市町村合併で、地方がどんどん都市化されるなかでは、かえって限界集落は希少価値があるのだ。住民は自家消費分の農業と年金収入で生計を立てている。民宿が2軒、食事のできる場所が1軒ある。

交流会は、その1軒の食事処「山楽庵」で開催された。交流会で出された料理は、フキとワラビの煮物、ウズラの炭火姿焼き、天然キノコ汁、山菜と信州牛のホイル蒸し、山菜の天ぷら、五平餅、デザートのリンゴ。

交流会には、牧野光朗飯田市長も駆け付けてくれた。地元の阿智村からは参事の水上宗光さんが参加者全員へのおみやげとして、赤根大根の漬け物を持参して参加してくれた。

交流会は、静岡県磐田市から参加の「めだかの学校」の事務局長・榊原幸雄さんの乾杯の音頭で始まった。参加者全員の自己紹介と、地元のおばちゃん、おじちゃんたちの紹介。

 交流会が始まってしばらくたつと、入れ替わり男たちが外に出て行っては数分後に戻って来る。外に出ても真っ暗で何もないはずだから、おそらく立ち小便をしに行くのだろう。 

外に出て見たら満天の星、下の集落を眺めれば民家の灯が夜霧ににじんでいた。寒気の中でブルッと震えてから、再び熱気のある宴席に戻って飲み直すというのはいいものだった。

 参加者がそれぞれ地域づくりについて熱い思いを語ったけれど、交流会は酔っぱらう人が一人ぐらい出てこないと盛り上がらない。旧足助町の青木信行さんが炭火が盛んにおきている囲炉裏の中に足を突っ込んでくれて、立派にその役割を果たしてくれた。

 宴もたけなわのころ、中締めは豊田市役所の高野なおみさん。

「本日の視察は大変有意義なものでした。私たちがサラダコスモでいただいたおしょうゆとおみそは、岐阜のギとアルゼンチンのアを結び付けたギアリンクスで造っているということでしたが、この会では、ギとアと、もう一つ『かがり火』のカを結び付けて、ギアカリンクスを三唱して中締めにしたいと思います」と、当意即妙の締めの言葉で万歳三唱。

日帰り組が帰途に就かれた後は、お膳を片付けて、囲炉裏の周りに車座になって、深夜まで夜なべ談議が続いたのであった。

夜は民宿の「いろりの家」と「ふるや」に分宿。11月となれば夜は寒い。こたつを中心にして円心状に布団を敷いて、足をこたつに入れて寝た。

 翌朝は、阿智村の朝市を見学、そして水上さんのご配慮で村内の昼神温泉の旅館「鶴巻荘」のお座敷風呂に入ることができた。感謝。このような視察&交流会は、機会あるごとに開催していきたい。

●横川郷は中央高速道の園原I.Cから車で10分。ただし、出入りは名古屋方面のみ可。東京方面からは飯田I.Cで下りて国道256号線、昼神温泉を過ぎてから園原IC方面に入る。

民宿「いろりの家」 TEL0265・44・2231 FAX0265・43・2291

民宿「ふるや」 TEL0265・25・4103  FAX0265・44・2783

食事処「山楽庵」横川自然農園 TEL 0265・56・3662 (営業は4〜11月末日まで)