創業社長は“肝っ玉かあさん”だった
大里綜合管理株式会社の野老(ところ)真理子社長(48歳)には、会社とは“かくあらねばならない”という固定観念がない。自分たちにとって、いちばんいいかたちが会社なのだという極めて柔軟かつ自由な発想で、会社を運営している。だから従来の会社という法人組織では考えられなかったほど、自在で闊達な会社経営を可能にしている。
その一つが学童保育。親が共働きの子どもたちは、学校を終えると、“ただいま”と言って、この会社に帰ってくる。月曜から金曜まで、毎日午後7時までは、会社が保育園を兼ねていて、社員の子どもたちだけではなく、地域の子どもたちを受け入れているのだった。土曜日は別に土曜学校というクラスがある。子どもたちは、社員の仕事の邪魔にならないように、上級生が小さな子どもたちの面倒を見ている。
この会社では、子連れの出勤も珍しくない。普段は託児所に預けていても、子どもが風邪気味の時などは預かってもらえない。そういう時は子どもを職場に連れて来る社員もいる。職場では、手の空いている社員たちが交代で子どもの面倒を見る。朝礼の時に、社員の周りで子どもがはしゃぎ回っている光景はほほ笑ましいが、年中、子どもの声が聞こえている会社なのだった。
大里綜合管理(株)は千葉県大網白里町にある従業員35人、年商約6億円の不動産会社である。
「自分が働きながら3人の子どもを育ててきましたから、働きながらの子育てはいかに大変かよく分かるんです。子どもを保育園に預けて帰ろうとすると、泣いて追い掛けてくる、その時の切なかったこと。そのころから、自分が社長になったら、働きたいという親の意思と子どもの心を大切にする会社をつくりたいと思っていました」
野老さんが社長に就任したのは、15年前の平成5年、34歳の時だった。
この会社は学童保育だけではない、韓国語や中国語の語学教室、コンサートや寄席、町の掃除など60種以上の地域貢献活動を実施している。カルチャーセンターや公民館活動も顔負けの、多彩なプログラムを実施しているから、子どもたちだけではなく、地元住民のサロンにもなっているのである。
野老社長に、なぜこのような地域貢献に取り組むようになったかについて説明していただく前に、簡単に社の歴史を振り返ってもらった。
「創業は昭和49年、母のセヨ子が設立しました。それまでは、私たちは東京・江戸川区に住んでいたのですが、父は組合や労働運動で忙しく、自然に母が家族を養うために働くことになったようです」
野老さんのお母さんは、男が働いて女は家を守るという世間の常識にとらわれないタイプだったから、真理子さんの自由な発想も母親譲りということになるのかもしれない。
「母は、最初は編み物や裁縫などで生計を支えていたのですが、それぐらいでは間に合わなくなって、当時、横綱大鵬がコマーシャルに出ていた不動産会社に勤務しました」
この会社は那須や房総の別荘地を販売していた会社だが、セヨ子さんは正規の社員ではなく、売り上げによって歩合が入るフリーの営業部員として働いた。その会社は間もなく倒産したものの、5人の子どもを養わなければならないから、セヨ子さんは落ち込むこともなく、販売する物件に近い千葉県の大網町に移転して、友人3人と今の不動産会社を立ち上げた。
「江戸川区にいたころから、母は、朝早くから夜遅くまで働いていました。5人兄妹の食事の世話は私の仕事です。兄妹は私の上に4歳上の長男と2歳上の二男、2歳下の弟と8歳下の妹の5人です。この5人を母は女手ひとつで大学に行かせてくれたのですから、感謝しています。子どものころの私の日課は、母親の置いていった何百円かの硬貨を握り締めて夕食の買い物に行くことでした。ですから、小学1年生のころにはもう、いろんな料理を作れるようになっていたんですよ。
私の育った地域は下町気質が生きていたというのか、近所のおばさんたちによく助けてもらいました。“真理子ちゃん、今日はどこそこで大安売りをやっているから、それを買うといいわよ”なんて教えてくれるのです。町内の人たちに助けてもらったありがたさは忘れられません。今、大人になって、地域活動に熱心になったのは、あのころの地域の人たちに感謝しているからだと思います」
不動産業の原点は額に汗すること
大里綜合管理(株)社名には「管理」という二字が付いているが、これは創業の精神を表しているものだった。
「わが社の柱になっているのは、草刈りです。銚子から九十九里海岸沿いに白子町を経て、鴨川に至る一帯は、温暖な気候で、交通も便利、海も山もある土地で、食べ物もおいしく、住宅地としても別荘地としても人気がありました。
私どもの営業範囲である大網町や山武郡一帯も、土地だけを買っておいて建物は定年後に建てようという方も多いので、売約済みの区画が多いエリアなのです。買い主は登記を済ませれば、めったにやってきません。土地は放っておくと草ぼうぼうになって、空き缶だけでなく粗大ゴミまで捨てられてしまいます。美観を損ねるだけでなく、治安の悪さにもつながってしまいます。母は、土地の持ち主に草刈りをさせていただくことを思い付いたのです」
設立したばかりの会社は顧客も少なかったので、物件の売買で仲介料を得る機会が少なく、苦肉の策だったのかもしれない。法務局に通って、土地台帳から持ち主を調べ、草刈りをさせてくれませんかと依頼し、仕事をさせてもらえるようになった。
「創業して35年たった今でも、わが社は年2回、その土地の草刈りをし、4回見回りをして、きれいになった土地を写真に撮って所有者に郵送するサービスを行っています。雑草の茂る時期は梅雨のころから真夏にかけてですから、現場の仕事はきついものです。土地を所有している方が自分の土地を見に来られるときは現地にもご案内します。こうやって、頂く手数料が年間1万5000円。ですからこのお金は非常に重みがあるものです」と野老社長は説明してくれた。なるほど、これならば所有者は自分の土地がゴミ捨て場になっていないか、不法に侵入されていないかを離れていてもチェックできるから安心というわけである。この地道な作業を積み上げて、現在、会社が顧客から委託されている物件は8000件もあるという。
「不動産は確かに利幅が大きい商売です。例えば1000万円の物件を仲介で販売すれば、3%プラス6万円、つまり36万円入ります。900万円で仕入れた物件を1000万円で売れば、100万円入ります。でもわが社はこのような売買があったとしても、それはあくまでも神様から与えられた贈り物と考え、そっちのほうに夢中になることはありません。基本はあくまでも“お役立ち”としての不動産管理が基礎になっているのです」
不動産業はわれわれの暮らしになくてはならない職業だけれども、なぜか敬意を払われることの少ない職業であると思っていた。バブル時期は、口先八寸で土地を買い占めたり、土地をころがしたり、古くからの町並みを破壊するかのように地上げをしたり、およそ額に汗して働いている庶民から見れば、別世界の人種に見えたものである。大里綜合管理(株)は、そのようなイメージの会社とは正反対だった。
野老社長は、ばりばりのやり手社長というイメージとは違って、話し方も優しく、保育園の保母さんという雰囲気を持つ人である。
「わが社では、家や土地の売買が成立した時は、売り主から買い主に、土地を取得して家を建てるまでの物語を話してもらうことにしています。不動産は高額なものですから、その物件を手放そうとするには、それなりのドラマがあるはずです。そのドラマは新しく取得した人に引き継がれていくわけで、私どもの仕事は責任重大なんです」
会社は地域に支持されなければ意味がない
真理子さんがお兄さんたちをさしおいて後継者となったのは、母親の仕事を手伝っていたからだった。
「私が、大学を出て母の会社に正式に入社したのは25歳の時でした。高校のころから10年間もアルバイトをさせてもらっていたので、母の会社をいい会社だなと思うようになっておりました」
不動産は景気によって変動が激しく、有力な企業もたちまち倒産していくところを野老さんは見てきた。一時の利益に目がくらめば、たちまちパンクする。大里綜合管理(株)は、女性の経営者ということもあったのか堅実経営で、バブルの夢に幻惑されることもなく地道な成長を続けた。
真理子さんとお母さんとの違いは、セヨ子さんにとっては会社経営はあくまでも家族を養うため、5人の子どもを育てるための手段だった。だから、子どもが成人し、それぞれが独り立ちした時に、役目が終わったということで現役を引退した。しかし真理子さんは、会社は社会の公器であり、継続することが使命だという哲学を身に付けていた。経営について専門的に学んだり、有名な社長さんたちと交流があったわけではない。母親としての感性で、経営とは何かと考えを深めていったら、利益追求だけではなく、企業と地域社会の融合を図り、地域貢献をしながら会社の利益を上げるのが会社であると考えるようになっていた。
「会社ですから、利益を上げなければ給料は払えません。でも、利益は地域貢献と一致させてこそ出るものと思っています」
真理子さんには、社長になったらやりたいことが二つあった。社員教育と年俸交渉である。小さな会社であっても社員の視野を広め、人格を高めるには、社員教育にお金を使いたかった。これは講演会の開催や各種のカルチャー教室を実施して実現させている。
もう一つが年俸制。
「社員には、野球の選手のように、これこれこのぐらいの仕事をしているのだから、これだけの報酬を頂きたいと自分から要求してほしいと思っていたので、社長になったら早速実現させました。この交渉には代理人を連れて来てもいいということにしているんです。野球の選手が弁護士さんに同席してもらうようなものです。笑っちゃうんですけれど、本当に大企業の総務部長を代理人として連れてきた社員がいるんですね。私が、その部長さんに、『社員とのやり取りを聞いていて、何でもいいから助太刀してやってください』と言って、社員と交渉を始めたのですが、その部長さんは、『まったく社長さんのおっしゃるとおりだ』と納得して帰られました。
社員が自分の給料を自分で決めるということは、それだけ目標をはっきり持って、それを達成するための緻密な計画と強い意志を持たなければならないということなんです。まあ、私はこの年俸交渉などを通じて、社員一人ひとりとじっくり本音で話し合いたいという気持ちがあるんですよ」
真理子さんの会社では、大卒も高卒も初任給は同じである。能力の差が判別できない段階では、給料に差をつけることができないという判断によるものだった。3カ月過ぎてから仕事ぶりを見て、正当に判断していくということだった。
60種以上のプログラムによる地域貢献活動
冒頭で紹介した平日の学童保育は、同社が設立した「NPO法人大里学童保育KBAスクール」(KBAは、キッズビーアンビシャスの略)が担当しているのだが、他に夏休みの3週間、学童を預かる大里学童保育サマースクールや土曜日の学童保育土曜学校も、NPO法人にはしていないけれどNPO活動の一環として取り組んでいる。
学童保育のほかに実施している地域貢献の主なものを列記すると、コンサート、寄席、ギャラリー、地域の掃除、道路の管理(植え込みの剪定や下刈りなど)、通学路の安全誘導、交通整理、球根植え、各種の語学講座、宅建や測量士のためのセミナー、歩け歩け大会の実施、バスツアー、料理教室、地域づくりの塾開催などである。ここではすべての活動を紹介できないので、地域貢献に取り組みたい、そのノウハウを学びたいという方は、ぜひ大里綜合管理(株)を訪問されることをお勧めしたい。
社員は35人で、60以上ものプログラムを運営しているのだから、一人で最低でも二つは担当しなければいけない。なかには、三つ四つと担当している社員もいる。
社員は、本当にこのような地域貢献活動を喜んで担当しているのだろうか。コンサート一つをとってみても、アーティストと交渉したり、チラシを作成して集客のために配布したり、問い合わせに応じたりと、やることがいっぱいある。当然、プライベートの時間まで犠牲にしなければならなくなるのではないか。
同社の女性社員の一人に聞いてみた。
「私の場合は、うちの子どもは小学校のころから大里の学童保育でお世話になっていたんです。私はパート社員として工場で働いていたのですが、どんなに助かったか分かりません。野老社長のほうから、“うちで働いてみませんか”と声を掛けていただいた時は、正式に働けるなんてうれしくて、二つ返事で承諾しました。そんなわけで、自分の息子が地域貢献活動のおかげで育ってきたようなものですから、今はほかの子どもさんたちの世話をすることは少しも苦になりません。それにこの会社は、一応、それぞれの担当はあるものの、手が空いている人は、いつでも同僚の仕事を引き受けて、お互いに助け合う体制ができているんです」
別の女性社員のコメント。
「わが社では、本業と地域貢献の活動が一体になっていて、その垣根を意識することはあまりありません。入社した時から、地域貢献活動に参加するようになっていますから、会社ってこういうものなんだと自然になじめるんです。私たち社員は全員で会社も地域も掃除するのですが、掃除が嫌いな人は辞めていってしまいます。ですから、社の雰囲気は同じ方向を向いている人たちの集まりになっています。それに、コンサートや寄席を聞きにいらした方が、それがきっかけとなって親しくなり、土地を買ってくれたり、家を建ててくれたりする方もたまにあるんですよ」
不動産業は地域とのつながりがなくして成り立たないことを意識し、地域社会が元気にならなければ会社も成り立たないことを見通した野老社長の経営方針が、大里綜合管理(株)に発展をもたらした。
しかし、これだけの活動をやれば経費も相当に掛かると思うのだが、本業からの持ち出しということはないのだろうか。
「当初、地域活動を始めたころは経費を販売促進費という名目で決済していました。しかし、赤字では、地域貢献活動も長続きしませんので、昨年はすべてのプログラムをプラスマイナスゼロにしようとみんなで約束したんです。担当者の頑張りのおかげで、平成19年度は持ち出しはありません。講師の謝金や交通費やもろもろの経費を、参加された方たちからの参加費で賄うことができました。もちろん、これにかかわる社員の人件費のコストは計算には入ってはおりませんけれど」
どんな立派な活動も、赤字では続かない。60種以上に及ぶプログラムのすべてが採算が合っているというのは、脱帽するしかない。
野老さんの取材は、非常に気持ちが良かった。どんな質問にも明快に答えてくれたからである。取材は、時には意地悪な質問をしたり、プライバシーにかかわることでも聞かなければならない。具合の悪い質問には、“まあ、それはいいじゃないですか”と言葉を濁す人も多いけれど、真理子さんは家族関係も売り上げもすべてオープンだった。息子さんが成人した日に、母から息子にあてた手紙も、その返礼の息子さんの手紙も見せてくれた。野老さんの人生には、隠さなければならないことは何もないようだった。
野老社長は女性のしなやかな感覚で、社会を変革する力のある、新しい会社モデルをつくり上げていた。
■ 大里綜合管理株式会社 〒299-3236 千葉県山武郡大網白里町みやこ野2-3-1
TEL 0475-72-3473 FAX0475-72-4001 URL http://www.ohsato.co.jp