議員報酬を日当制にした福島県矢祭町「決意宣言」全文掲載“町民とともに立たん”

福島県・矢祭町議会は、昨年12月28日、仕事納めの日の臨時議会において、議員報酬を日当制にすることを議決した(賛成8票・反対2票)。これで議員報酬一人当たり年額340万円が90万円程度になる見込みである。矢祭町ではもともと政務調査費は出していない。日当性は、これまでの制度を見直す大英断である。議員が議会に出席するのは、定例議会、臨時議会に委員会開催を含めても年間30日ぐらいだから、一日当たり3万円という報酬は妥当なところだろうという判断である。しかも、ほとんどの議員は他にも収入源があるのだから、議員報酬削減はコロンブスの卵だった。矢祭町民も、議員たちの潔さに喝采を送っている。

平成13年の「合併しない矢祭町宣言」以来、議員を18人から10人に減らし、役場の人員不足はOB職員によって補完する第二役場制度を発足させ、職員の自宅が出張所となる移動役場など数々の改革を進めてきたが、今回の議員報酬の日当制は、その総仕上げというべき感がある。根本良一前町長は昨年の4月に引退し、古張允町長にバトンタッチしたけれど、改革はその後も力強く進められていた。

矢祭町議員の誇りに満ちた宣言を全文掲載させていただく。

矢祭町議会は平成13年10月31日、議員提案により、「合併しない矢祭町宣言」を全国に先駆けて全会一致で議決した。町の羅針盤を高らかに宣言したこの檄文は、全国の地方自治体への励ましとなり、目標となり続けている。そして今、我々矢祭町議員は自身の報酬を日当制にすることを決意した。連綿と続く議員報酬のあり方を根幹から変える決断を、我々は悠々として超然と、そして敢然として断行する。現在、国会議員と地方議員を巡り、有権者からの厳しい目が、残念ながら向けられている。議員は有権者に選ばれし、有権者の公僕である。その責務の一切は有権者のために遂行されなければならない。その当たり前の議員の姿勢と哲学がきしみを上げ始めていることを、我々は痛憤の思いで受け止める。だが、我々は看過しはしない。報酬を日当制に変更するという大胆な決断によって、すべての地方議員に対して、自身の立ち位置とあるべき姿を改めて問い直し、警鐘を乱打するものである。我々矢祭町議は、町民とともに立たんの決意をここに宣言する。今、議員たるのその原点に帰る。

国主導による「平成の合併」が雪崩を打つ中、我々の「合併しない宣言」は全国に熱烈な感動をもって受け入れられた。だが、旬日を置かない同年11月13日、総務省行政体制整備室長が来町し、翻意を促された。室長曰く、「合併の何たるかを矢祭町の多くの町民に説明し、合併の方向へ翻ることを期待する」と。室長の語る合併のメリットは、「首長や特別職、議員などを削減することによって大きな財源が生まれ、その削減によって生まれた大きな余財を高齢化社会の軍資金にできる」という内容だった。だが、その言質からは、地方自治が担うべき民主主義をいかに為すべきかについて、ただの一言も言及されなかった。そして、国は我々の方向性を「町民に対する背信行為」「首長や議員の保身のため」などと、時に面罵し、時に誹謗した。我々が目指すのは、きめ細かな行政であり、住民の目線に立った行政である。かかる哲学以外に、行政のあり方を指し示す松明はない。「合併しない宣言」によって、我々矢祭町議は松明を手にした。この松明をたやすことは町民への背信行為である。もしこの松明の灯を消すことがあるとするならば、それは有権者たる町民の判断によってのみであり、その他の何者によっても妨げられるものではない。

「合併しない宣言」以来、我々矢祭町議は議会改革に全精力を傾けてきた。平成14年7月4日、議員定数を18人から一挙に8人減らし、10人にした。そして、平成16年3月の改選期から実施した。「一寸の虫にも五分の魂」という、身を切っても自立するために頑張っていく強い意思が込められている。6700人の民意を反映する機能は貶めないという強い覚悟が秘められていることは言うに及ばない。この4年間を振り返るに、議会運営に支障を来したことはただの一度もない。やればできるの意気込みを、実行をもって実証してきたのである。

 今、日本の国全体に暗雲が立ちこめている。それは、指導者が国民の立場に立っておらず、自分本位の判断に終始しているからにほかならない。このことは国民にとって非常に辛いことだ。だが、ここ矢祭町に限っては、役場、議会、町民が三位一体となって町づくりを進めてきた。それを体現したものが、平成18年度から始まった「矢祭町第3次総合計画」である。「郷土愛」をうたい、共に支え合いながら暮らせる町づくりを推進し、「元気な子どもの声が聞こえる町づくり」を政策の中心に据えた。また、それを貫くために、町の憲法たる自治基本条例を制定し、平成18年1月1日から施行された。その第7条には町議の責務として「町議会議員は、町民の信託を受けた町民の代表である。議員は、町民の声を代表して、矢祭町の発展、町民の幸せのために議会活動に努める」とうたわれている。我々は常に町民の一人ひとりの立場に立って町政に参画しなければならない。町民の生活こそが、日々の議員活動の中で、最も気に掛けねばならない問題である。

 我々が受ける報酬は、町民が汗を流してかせいだ税金であることを忘れてはならない。議員報酬の経過を辿れば、執行部とのもたれ合いの中、報酬審議委員会なるものを隠れ蓑にして、その額を住民の目の届かないところで決めていたと指弾されても、それに反論する言葉を我々は持たない。右肩上がりの時代からのお手盛りを重ねてきた結果が、現在の議員報酬につながってはいないだろうか。50年後、100年後もびくともしない矢祭町を作り上げるためには、議会はもう一度原点に帰らなければならない。我々議員は、町民の艱難辛苦を憂い、嘆く声を聞き、見たとき、現在の報酬制度にあぐらをかいているわけにはいかない。そして、我々は報酬制度を根本から考え直すことを決意した。その際、我々は世間一般の常識にとらわれない。矢祭町はいかにあるべきか、矢祭町議会はいかにあるべきかーーここが我々の議論の出発点であり、すべてである。

 私たちが描く日当制は実費支給が原則であるから、町民の目からも透明度が高く、議員活動に対する対価という意味合いがより厳格化される。これによって、議員の活動状況も分かりやすく、評価もしやすくなる。また、これから議員になろうとする人も、欲の固まりのような金の亡者は消え、真摯に町を思う若い人や女性も進出しやすくなるなど、有権者の選択肢が拡大するに違いない。「選挙には金がかかる」との風説があるが、この日当制の導入によって、「金のかからない選挙」が実現できるだろう。選挙運動のあり方にも一石を投じることは必至だ。経費の削減によって生まれる余財を、町民生活を豊かにする町民密着の政策に差し向けることができることを我々は何よりも喜ぶ。

この問題に真正面から取り組むことは、決して地方自治を卑しめるものではない。むしろ地方自治の本来の姿を体現するもので、全国の地方自治体に範を垂れることになると確信している。「合併しない宣言」を決議した矢祭町議会だからこそ、陋習に凝り固まった堅固な壁に風穴を開けることができる自負を持っている。今回の我々の決断が郷土を愛する全国の人たちに全的に歓迎されるに違いないと確信を持っている。

今、我々矢祭町議は宣言する。町民とともに立たん。

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この宣言文を読んで、どのような感想をお持ちになっただろうか。本誌は、「矢祭町議員」を「国会議員」に、「町民」を「国民」に置き換えて読み直してみた。そうしたら、急に元気がみなぎってくるように感じた。もし、国会議員によって、このような宣言がなされたならば、国民は勇気百倍、より一生懸命に働こうという気になるに違いない。日本列島を覆っている暗雲など、たちどころに吹き払われてしまうだろう。

ぜひ、他の自治体でも見習ってほしいし、国でも検討してほしいと思う。国の借金が800兆円という天文学的数字になっている今、なりふり構っていられる時ではない。

矢祭町をまねて、霞が関の官僚がトイレを掃除しても何ら不思議なことではないし、国会議員が黒塗りの高級車から軽自動車に乗り換えても選良としての体面を失うわけではない。一度ぐらい、さすが国会議員だなと国民から尊敬のまなざしを向けられるような自己犠牲の精神を発揮してもらいたいものである。

会社経営と地域貢献活動を見事に両立させた、女性社長の生き方大里綜合管理株式会社 野老真理子さん

創業社長は“肝っ玉かあさん”だった

 大里綜合管理株式会社の野老(ところ)真理子社長(48歳)には、会社とは“かくあらねばならない”という固定観念がない。自分たちにとって、いちばんいいかたちが会社なのだという極めて柔軟かつ自由な発想で、会社を運営している。だから従来の会社という法人組織では考えられなかったほど、自在で闊達な会社経営を可能にしている。

その一つが学童保育。親が共働きの子どもたちは、学校を終えると、“ただいま”と言って、この会社に帰ってくる。月曜から金曜まで、毎日午後7時までは、会社が保育園を兼ねていて、社員の子どもたちだけではなく、地域の子どもたちを受け入れているのだった。土曜日は別に土曜学校というクラスがある。子どもたちは、社員の仕事の邪魔にならないように、上級生が小さな子どもたちの面倒を見ている。 

この会社では、子連れの出勤も珍しくない。普段は託児所に預けていても、子どもが風邪気味の時などは預かってもらえない。そういう時は子どもを職場に連れて来る社員もいる。職場では、手の空いている社員たちが交代で子どもの面倒を見る。朝礼の時に、社員の周りで子どもがはしゃぎ回っている光景はほほ笑ましいが、年中、子どもの声が聞こえている会社なのだった。

大里綜合管理(株)は千葉県大網白里町にある従業員35人、年商約6億円の不動産会社である。

「自分が働きながら3人の子どもを育ててきましたから、働きながらの子育てはいかに大変かよく分かるんです。子どもを保育園に預けて帰ろうとすると、泣いて追い掛けてくる、その時の切なかったこと。そのころから、自分が社長になったら、働きたいという親の意思と子どもの心を大切にする会社をつくりたいと思っていました」

 野老さんが社長に就任したのは、15年前の平成5年、34歳の時だった。

 この会社は学童保育だけではない、韓国語や中国語の語学教室、コンサートや寄席、町の掃除など60種以上の地域貢献活動を実施している。カルチャーセンターや公民館活動も顔負けの、多彩なプログラムを実施しているから、子どもたちだけではなく、地元住民のサロンにもなっているのである。

 野老社長に、なぜこのような地域貢献に取り組むようになったかについて説明していただく前に、簡単に社の歴史を振り返ってもらった。

「創業は昭和49年、母のセヨ子が設立しました。それまでは、私たちは東京・江戸川区に住んでいたのですが、父は組合や労働運動で忙しく、自然に母が家族を養うために働くことになったようです」

 野老さんのお母さんは、男が働いて女は家を守るという世間の常識にとらわれないタイプだったから、真理子さんの自由な発想も母親譲りということになるのかもしれない。

「母は、最初は編み物や裁縫などで生計を支えていたのですが、それぐらいでは間に合わなくなって、当時、横綱大鵬がコマーシャルに出ていた不動産会社に勤務しました」

この会社は那須や房総の別荘地を販売していた会社だが、セヨ子さんは正規の社員ではなく、売り上げによって歩合が入るフリーの営業部員として働いた。その会社は間もなく倒産したものの、5人の子どもを養わなければならないから、セヨ子さんは落ち込むこともなく、販売する物件に近い千葉県の大網町に移転して、友人3人と今の不動産会社を立ち上げた。

「江戸川区にいたころから、母は、朝早くから夜遅くまで働いていました。5人兄妹の食事の世話は私の仕事です。兄妹は私の上に4歳上の長男と2歳上の二男、2歳下の弟と8歳下の妹の5人です。この5人を母は女手ひとつで大学に行かせてくれたのですから、感謝しています。子どものころの私の日課は、母親の置いていった何百円かの硬貨を握り締めて夕食の買い物に行くことでした。ですから、小学1年生のころにはもう、いろんな料理を作れるようになっていたんですよ。

私の育った地域は下町気質が生きていたというのか、近所のおばさんたちによく助けてもらいました。“真理子ちゃん、今日はどこそこで大安売りをやっているから、それを買うといいわよ”なんて教えてくれるのです。町内の人たちに助けてもらったありがたさは忘れられません。今、大人になって、地域活動に熱心になったのは、あのころの地域の人たちに感謝しているからだと思います」

不動産業の原点は額に汗すること 

 大里綜合管理(株)社名には「管理」という二字が付いているが、これは創業の精神を表しているものだった。

「わが社の柱になっているのは、草刈りです。銚子から九十九里海岸沿いに白子町を経て、鴨川に至る一帯は、温暖な気候で、交通も便利、海も山もある土地で、食べ物もおいしく、住宅地としても別荘地としても人気がありました。

私どもの営業範囲である大網町や山武郡一帯も、土地だけを買っておいて建物は定年後に建てようという方も多いので、売約済みの区画が多いエリアなのです。買い主は登記を済ませれば、めったにやってきません。土地は放っておくと草ぼうぼうになって、空き缶だけでなく粗大ゴミまで捨てられてしまいます。美観を損ねるだけでなく、治安の悪さにもつながってしまいます。母は、土地の持ち主に草刈りをさせていただくことを思い付いたのです」

設立したばかりの会社は顧客も少なかったので、物件の売買で仲介料を得る機会が少なく、苦肉の策だったのかもしれない。法務局に通って、土地台帳から持ち主を調べ、草刈りをさせてくれませんかと依頼し、仕事をさせてもらえるようになった。

「創業して35年たった今でも、わが社は年2回、その土地の草刈りをし、4回見回りをして、きれいになった土地を写真に撮って所有者に郵送するサービスを行っています。雑草の茂る時期は梅雨のころから真夏にかけてですから、現場の仕事はきついものです。土地を所有している方が自分の土地を見に来られるときは現地にもご案内します。こうやって、頂く手数料が年間1万5000円。ですからこのお金は非常に重みがあるものです」と野老社長は説明してくれた。なるほど、これならば所有者は自分の土地がゴミ捨て場になっていないか、不法に侵入されていないかを離れていてもチェックできるから安心というわけである。この地道な作業を積み上げて、現在、会社が顧客から委託されている物件は8000件もあるという。

「不動産は確かに利幅が大きい商売です。例えば1000万円の物件を仲介で販売すれば、3%プラス6万円、つまり36万円入ります。900万円で仕入れた物件を1000万円で売れば、100万円入ります。でもわが社はこのような売買があったとしても、それはあくまでも神様から与えられた贈り物と考え、そっちのほうに夢中になることはありません。基本はあくまでも“お役立ち”としての不動産管理が基礎になっているのです」

不動産業はわれわれの暮らしになくてはならない職業だけれども、なぜか敬意を払われることの少ない職業であると思っていた。バブル時期は、口先八寸で土地を買い占めたり、土地をころがしたり、古くからの町並みを破壊するかのように地上げをしたり、およそ額に汗して働いている庶民から見れば、別世界の人種に見えたものである。大里綜合管理(株)は、そのようなイメージの会社とは正反対だった。

野老社長は、ばりばりのやり手社長というイメージとは違って、話し方も優しく、保育園の保母さんという雰囲気を持つ人である。

「わが社では、家や土地の売買が成立した時は、売り主から買い主に、土地を取得して家を建てるまでの物語を話してもらうことにしています。不動産は高額なものですから、その物件を手放そうとするには、それなりのドラマがあるはずです。そのドラマは新しく取得した人に引き継がれていくわけで、私どもの仕事は責任重大なんです」

会社は地域に支持されなければ意味がない

真理子さんがお兄さんたちをさしおいて後継者となったのは、母親の仕事を手伝っていたからだった。

「私が、大学を出て母の会社に正式に入社したのは25歳の時でした。高校のころから10年間もアルバイトをさせてもらっていたので、母の会社をいい会社だなと思うようになっておりました」

 不動産は景気によって変動が激しく、有力な企業もたちまち倒産していくところを野老さんは見てきた。一時の利益に目がくらめば、たちまちパンクする。大里綜合管理(株)は、女性の経営者ということもあったのか堅実経営で、バブルの夢に幻惑されることもなく地道な成長を続けた。

 真理子さんとお母さんとの違いは、セヨ子さんにとっては会社経営はあくまでも家族を養うため、5人の子どもを育てるための手段だった。だから、子どもが成人し、それぞれが独り立ちした時に、役目が終わったということで現役を引退した。しかし真理子さんは、会社は社会の公器であり、継続することが使命だという哲学を身に付けていた。経営について専門的に学んだり、有名な社長さんたちと交流があったわけではない。母親としての感性で、経営とは何かと考えを深めていったら、利益追求だけではなく、企業と地域社会の融合を図り、地域貢献をしながら会社の利益を上げるのが会社であると考えるようになっていた。

「会社ですから、利益を上げなければ給料は払えません。でも、利益は地域貢献と一致させてこそ出るものと思っています」

真理子さんには、社長になったらやりたいことが二つあった。社員教育と年俸交渉である。小さな会社であっても社員の視野を広め、人格を高めるには、社員教育にお金を使いたかった。これは講演会の開催や各種のカルチャー教室を実施して実現させている。

もう一つが年俸制。

「社員には、野球の選手のように、これこれこのぐらいの仕事をしているのだから、これだけの報酬を頂きたいと自分から要求してほしいと思っていたので、社長になったら早速実現させました。この交渉には代理人を連れて来てもいいということにしているんです。野球の選手が弁護士さんに同席してもらうようなものです。笑っちゃうんですけれど、本当に大企業の総務部長を代理人として連れてきた社員がいるんですね。私が、その部長さんに、『社員とのやり取りを聞いていて、何でもいいから助太刀してやってください』と言って、社員と交渉を始めたのですが、その部長さんは、『まったく社長さんのおっしゃるとおりだ』と納得して帰られました。

社員が自分の給料を自分で決めるということは、それだけ目標をはっきり持って、それを達成するための緻密な計画と強い意志を持たなければならないということなんです。まあ、私はこの年俸交渉などを通じて、社員一人ひとりとじっくり本音で話し合いたいという気持ちがあるんですよ」

真理子さんの会社では、大卒も高卒も初任給は同じである。能力の差が判別できない段階では、給料に差をつけることができないという判断によるものだった。3カ月過ぎてから仕事ぶりを見て、正当に判断していくということだった。

60種以上のプログラムによる地域貢献活動

 冒頭で紹介した平日の学童保育は、同社が設立した「NPO法人大里学童保育KBAスクール」(KBAは、キッズビーアンビシャスの略)が担当しているのだが、他に夏休みの3週間、学童を預かる大里学童保育サマースクールや土曜日の学童保育土曜学校も、NPO法人にはしていないけれどNPO活動の一環として取り組んでいる。

 学童保育のほかに実施している地域貢献の主なものを列記すると、コンサート、寄席、ギャラリー、地域の掃除、道路の管理(植え込みの剪定や下刈りなど)、通学路の安全誘導、交通整理、球根植え、各種の語学講座、宅建や測量士のためのセミナー、歩け歩け大会の実施、バスツアー、料理教室、地域づくりの塾開催などである。ここではすべての活動を紹介できないので、地域貢献に取り組みたい、そのノウハウを学びたいという方は、ぜひ大里綜合管理(株)を訪問されることをお勧めしたい。

 社員は35人で、60以上ものプログラムを運営しているのだから、一人で最低でも二つは担当しなければいけない。なかには、三つ四つと担当している社員もいる。

 社員は、本当にこのような地域貢献活動を喜んで担当しているのだろうか。コンサート一つをとってみても、アーティストと交渉したり、チラシを作成して集客のために配布したり、問い合わせに応じたりと、やることがいっぱいある。当然、プライベートの時間まで犠牲にしなければならなくなるのではないか。

同社の女性社員の一人に聞いてみた。

「私の場合は、うちの子どもは小学校のころから大里の学童保育でお世話になっていたんです。私はパート社員として工場で働いていたのですが、どんなに助かったか分かりません。野老社長のほうから、“うちで働いてみませんか”と声を掛けていただいた時は、正式に働けるなんてうれしくて、二つ返事で承諾しました。そんなわけで、自分の息子が地域貢献活動のおかげで育ってきたようなものですから、今はほかの子どもさんたちの世話をすることは少しも苦になりません。それにこの会社は、一応、それぞれの担当はあるものの、手が空いている人は、いつでも同僚の仕事を引き受けて、お互いに助け合う体制ができているんです」

別の女性社員のコメント。

「わが社では、本業と地域貢献の活動が一体になっていて、その垣根を意識することはあまりありません。入社した時から、地域貢献活動に参加するようになっていますから、会社ってこういうものなんだと自然になじめるんです。私たち社員は全員で会社も地域も掃除するのですが、掃除が嫌いな人は辞めていってしまいます。ですから、社の雰囲気は同じ方向を向いている人たちの集まりになっています。それに、コンサートや寄席を聞きにいらした方が、それがきっかけとなって親しくなり、土地を買ってくれたり、家を建ててくれたりする方もたまにあるんですよ」

 不動産業は地域とのつながりがなくして成り立たないことを意識し、地域社会が元気にならなければ会社も成り立たないことを見通した野老社長の経営方針が、大里綜合管理(株)に発展をもたらした。

 しかし、これだけの活動をやれば経費も相当に掛かると思うのだが、本業からの持ち出しということはないのだろうか。

「当初、地域活動を始めたころは経費を販売促進費という名目で決済していました。しかし、赤字では、地域貢献活動も長続きしませんので、昨年はすべてのプログラムをプラスマイナスゼロにしようとみんなで約束したんです。担当者の頑張りのおかげで、平成19年度は持ち出しはありません。講師の謝金や交通費やもろもろの経費を、参加された方たちからの参加費で賄うことができました。もちろん、これにかかわる社員の人件費のコストは計算には入ってはおりませんけれど」

どんな立派な活動も、赤字では続かない。60種以上に及ぶプログラムのすべてが採算が合っているというのは、脱帽するしかない。

 野老さんの取材は、非常に気持ちが良かった。どんな質問にも明快に答えてくれたからである。取材は、時には意地悪な質問をしたり、プライバシーにかかわることでも聞かなければならない。具合の悪い質問には、“まあ、それはいいじゃないですか”と言葉を濁す人も多いけれど、真理子さんは家族関係も売り上げもすべてオープンだった。息子さんが成人した日に、母から息子にあてた手紙も、その返礼の息子さんの手紙も見せてくれた。野老さんの人生には、隠さなければならないことは何もないようだった。

野老社長は女性のしなやかな感覚で、社会を変革する力のある、新しい会社モデルをつくり上げていた。

■     大里綜合管理株式会社 〒299-3236 千葉県山武郡大網白里町みやこ野2-3-1

TEL 0475-72-3473  FAX0475-72-4001 URL http://www.ohsato.co.jp