特  集

失敗をたたえる文化をつくりたいという

日本西海岸計画の池田友喜さん

 さすがに裏日本という差別的な言い方こそなくなったが、日本海側は、冬はどんよりとした雪模様の日が多いこともあって、暗いイメージが付きまといがちだ。しかし、日本の西海岸と言い直すと、シリコンバレーのあるアメリカの西海岸への連想も働いてイメージは変わる。山形県酒田市にUターンした起業家の池田友喜さん(41)が「日本西海岸計画」の看板を掲げた狙いもそこにある。池田さんは、庄内地方をシリコンバレーのように起業家を育て、若者を集める「シリコンビーチ」にしようと気宇壮大な計画を進める。

                 ジャーナリスト 松本克夫

ベンチャー企業の成功と挫折

 池田さんにはもともと起業家の気質があったのだろう。首都圏の大学で機械工学を専攻したが、就職活動の時期には、起業するかベンチャー企業に就職するかで悩んだ。成功哲学のナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』を読むと、「やりたい仕事がないなら、つくればいい」とあり、ますます起業熱をあおられた。起業するなら、電気自動車のメーカーをつくりたいと考えていた。しかし、当時はベンチャーブームが下火だったこともあり、結局、東京の従業員10人ほどのソフトウエアの会社に就職した。総務、経理、営業など何でもやらせてくれるというのが起業を目指す池田さんには魅力だった。3年弱勤めた後、別の会社に移った。テレビショッピングのIT部門の会社だった。「エキサイティングな仕事」に夢中になっているうちに、気が付くと29歳になっていた。結婚もして、2人目の子どもが生まれる時期だった。

 いつまでもこうしてはいられないと会社勤めに見切りをつけ、会社の同僚と2人で新たな会社を設立した。といっても、何をするかプランはなく、沖縄に行って、3日間砂浜で寝そべって考えたほどだ。思い付いたのは、ソフトウエアの仕事を発注する側と開発する側をマッチングする会社だった。東京の台東区の中小企業を相手に仕事をしたが、多くの中小企業はコンピューターを使っていなかった。池田さんたちは、「コンピューターを使うことにより、3パーセントでも顧客企業の業績を伸ばせれば、日本の国力向上につながる」と意気盛んだった。2011年まで会社は順調に拡大し、社員は30人になり、秋葉原のビルのワンフロアを借り切るほどになった。

 しかし、落とし穴があった。このままいくと資金が足りなくなるかなという不安を抱えていた池田さんは、ある金融のプロに「その不安は当たりますよ」といわれた。その人にそそのかされて、営業マンが20人ほどの太陽光発電の訪問販売の会社を抱え込んだ。そこから経営がおかしくなった。1・5億円ほどの損失を被り、2012年6月には会社が立ち行かなくなった。社員は全員いったん解雇し、新会社に移ってもらい、池田さんだけが後処理のために元の会社に残った。池田さんは、「その太陽光発電の訪問販売リーダーに初めて会った時、これはおかしいと直感が働いたのですが、その直感を無視して、話に乗ったのが失敗でした。ITで世界を変えるという志を抱いていたのに、それとは無関係の目の前のもうけ話にはまってしまったのです。恐怖に支配されている時には、自分の心の声に従うことが大事です」と痛恨の失敗を振り返る。

 

シリコンバレーに負けない環境

ただこの挫折は人生を真剣に考えるきっかけになった。「自分は何のために生きているのか、何のために事業をしているのか、何をすればこの世に生きたといえるのか、自分は何を残せるのか」と考え続けた。その時、ふるさとの酒田市で再起する考えが浮かんだ。「ベンチャーとして1回失敗して、全部失って、残りの人生を何に費やしたらいいかと考えた時、田舎を思い出しました。以前から、いつか田舎に帰ろうかくらいの気持ちではいたのですが、今や田舎は若い人が減って、都会に吸い込まれていっています。ここに再チャレンジしやすい文化や環境をつくれたら、若い人がチャレンジする場所に変わるのではないか。アメリカの西海岸みたいなところをつくれれば、ぼくの人生も意味があるのではないか」と思い至った。家族も移住に快く賛同してくれた。

2014年2月には酒田市で新たなベンチャー企業「チェンジ・ザ・ワールド」を設立した。世界を変えるという大きな志を社名にした会社は、「再生可能エネルギー、農業、ITを組み合わせた会社」である。事業の主力はソーラーシェアリング。ソーラーパネルの下で耕作もする営農型太陽光発電である。ソーラーと農業で太陽光を分け合えば、耕地当たりの収入は増え、耕作放棄地の解消にも役立つ。そのほか、同社はスマホから手軽に太陽光発電所のオーナーになれる「CHANGE」というサービスもしている。経営は順調で、4期目には売上げが5億円に近づき、前に経営していた会社を抜いた。今年は売上げ10億円を目指している。従業員は30人ほどになった。

会社の経営以上に力を入れているのが日本西海岸計画。「日本海側は暗いとか、悲しみの日本海とかいわれますが、せめて言葉だけでも明るくしよう」と付けた名称である。庄内に日本のシリコンバレーをつくるといえば、とんでもないほら吹きにも聞こえるが、「やりたいのはチャレンジャーの楽園をつくることです。失敗を恐れずにチャレンジした結果、100のうち99は失敗するのがベンチャーです。失敗した人が後ろ指をさされることのない、失敗をたたえる文化をつくることです。そうなれば、自然にベンチャーは生まれます」と真意を語る。

それにしても、シリコンバレーとは事情が違いすぎるようにも思えるが、池田さんは、「この辺も30年前のシリコンバレーと比べて環境では負けていません。日本海側の夕日はリゾート地のようです。ここには、豊かな自然、おいしい食文化があります。シリコンバレーにいる人たちに日本西海岸計画の話をすると、日本では無理だといいます。シリコンバレーは人材や投資家などの環境がそろっているというのです。しかし、私は30年先、50年先のことをいっています。文化形成には時間がかかります。長い取り組みになります。巨大企業になったフェイスブックだってここ10年で急成長した会社です。何かを始めれば1以上になりますが、何もやらなければゼロです。日本ではできないと断言する権利は誰にもありません」と意に介さない。

 

挑戦者たちを照らす「ライトハウス」

日本西海岸計画は2014年8月にスタートした。ただ、初めの1年間ほどは西海岸計画という名前をあまり表に出していなかった。まず各種のプロジェクトを実施し、活動の実体をつくるのが先と考えたからだ。その一つである「モシエノ大学」は、ライブハウスで開いている市民大学である。モシエノは、庄内方言で「おもしろいね」の意味。庄内や県内で面白い仕事をしている人や面白い人生を送っている人にトークライブ方式で話してもらう。これまでに50数回開催した。割と好評で、高校や産業フェアなどに招かれて、ボランティアで臨時の「モシエノ大学」を開くこともある。

「DODODO」は、みんなの前でこういうことをやりたいという思いを発表する場である。ピッチ(投げかけること)時間の5分間に、新しいアイデアや叶えたい夢などを自由に表現する。「西海岸0→1CAMP」は、起業の予行演習的なイベント。起業したい人が30人くらい集まって、2日間で仮の起業を構想してみる。アイデアからビジネスモデルへと成長させる方法をリアルに体験していく。プログラムの最後では、審査員の審査を受ける。このほか、週末に2泊3日で起業の一歩目を体験できる「Startup Weekend 山形」や、英会話やプログラミングを教えてIT人材を育てる「WEST COAST ACADEMY」などのプロジェクトもある。

日本西海岸計画は昨年4月には一般社団法人化した。代表理事の池田さんのほか、理事にはデジタルコンテンツ制作会社の代表やコメの生産加工会社役員、地元の東北公益文科大学教授らが加わっている。社団法人になったからといって、敷居を高くしたわけではない。池田さんは、「西海岸計画には誰でも加われます。気持ちに賛同してくれれば、皆仲間です」という。

社団法人化して「第2ブースト期に入った」西海岸計画だが、その最初の事業が創業支援(インキュベーション)施設「LIGHTHOUSE(ライトハウス)」の開設である。ライトハウスは英語で灯台のことだが、「灯台は酒田のシンボルです。チャレンジャーは大海原に出て行くイメージですが、困ったことがあったら、港はここだよと教えてくれるのがライトハウスです。何かをやりたい人、チャレンジしたい人が集まれる場所です」と池田さんは説明する。

昨年9月1日にオープンしたライトハウスは、建設資材会社の空き倉庫を借りてオフィス用に改修したものだ。鉄骨2階建てで、延べ床面積は約780平方メートル。1階は起業を目指す人が仕事空間を共有できるコワーキングスペース。ミーティングルームや疲れたら1杯やれるバーカウンターもある。今年10月からは、庄内に住む人と全国のコワーキングスペースの会員証を持っている人は無料で利用できる。2階はテーブルと椅子をセットで使えるシェアオフィスである。船出したばかりのベンチャー企業などが利用する。

ライトハウス開設のための建物改修には約1500万円かかった。そのうち300万円ほどはクラウドファンディングで調達した。クラウドファンディングを利用したのは、「地元の人たちに協力してもらいたかった」からだ。「地元の人たちからの拠出は50万円を超えた。「5年目に入って、地元でも一目置かれるようになりました」という西海岸計画だが、地元の応援団をもっと必要としている。

 

移住体験プログラムでIT技術者集め

 日本西海岸計画が起業家の育成と並んで力を入れているのは移住者の受け入れである。「新しい産業を生み出すためには、教育、移住、環境、海外との連携などのファクターが必要」と池田さんは見ているが、とりわけ庄内で不足しているのがITのエンジニアだという。「この辺には、ITをプログラムする人がいませんから、移住者を受け入れなければなりません」が、「ITのエンジニアは世界的に奪い合い」とあって、容易ではない。

日本西海岸計画のプロジェクトの一つである「ABEBA(あべば)」は、地元の言葉で「来たら?」という意味である。酒田に移住したいが、いきなりでは心配だから、とりあえず酒田の暮らしを体験してみたいという人向けの短期移住体験プロジェクトである。日本西海岸計画は、市との共同プロジェクトで、「ショウナイベース」という移住体験ゲストハウスを設立し、今では独自で運営している。昭和32年築の木造2階建ての古民家だが、「日本西海岸計画のスタッフ20名でセルフリノベーションした手づくり感満載の温かみのある施設」である。「ABEBA」プロジェクトでは、ここを使って年4回定期的に移住体験プログラムを実施しているが、それとは別に個別の移住体験希望にも応じている。

池田さんは、酒田市移住者交流会の会長も引き受けている。酒田に移住した人だけでなく、酒田への移住に興味のある人でも参加できる交流会である。行政と民間の移住者受け入れ努力もあって、このところ酒田市への移住者は増え、人口の流出入では流入の方が上回るようになった。しかし、池田さんはこれからが勝負と見る。「新しい産業づくりをしないと移住者は増えません。田舎で子どもを育てたいという人はいますが、物の値段は東京と変わりませんから、東京の企業と変わりない給料を出せる企業がなければ駄目です。今はインバウンドの観光客に目が向いていますが、ベースになる産業づくりをないがしろにしてはいけません」と産業づくりの重要性を訴える。

 

起業家が起業家を育てる

移住者対策では行政に手を貸している日本西海岸計画だが、「行政からの補助金は一切もらわずにやっています」と行政とは一線を画している。行政とは競合する場面も出てきた。市も起業家支援に乗り出し、ライトハウスとは別にコワーキングスペースを設けたからだ。しかし、池田さんは気にしていない。「起業家は起業家の中でしか育ちません。起業したことのない人が起業を教えるのは無理です」とわかっているからだ。

池田さんに起業家を育てるコツを聞くと、「起業はこれまでにない仕事をつくることです。うまくいくやり方なんてありません。うまくいくまでやり続けるしかありません。考えている間があったら、やってみろです。やってみないと正しいかどうかわかりません。プランだけでは駄目です。それがいまの起業です」という答が返ってきた。「黒ひげ危機一髪」というゲームがあるという。たるの上に海賊の黒ひげの首が載っている。たるには10カ所くらい穴が開いていて、そのどこかに剣を突っ込むと黒ひげの首が跳ね上がるという仕掛けになっている。池田さんは、「考えても、どこに剣を刺し込んだらいいかわかりません。しかし、刺し込んでいるうちに、当たる確率は高まっていきます。起業もそういうものです」という。「コンサルや大学の先生が教えて、創業塾の塾生に考えさせてもうまくいくわけがありません。事業計画を作るのに3~4カ月かかり、うまくいかないと若い人が自信を失っておしまいです」となるのが相場だから、とにかく怖がらずにやってみるしかないというのが池田さんの勧めだ。

その勧めに従って、ライトハウスを足場にした起業家が出始めた。1社は「ザ・ヒドゥン・ジャパン」というインバウンドビジネスの会社だが、庄内の観光に特化してサイトを運営する。「YAH」も観光系の会社だが、自転車ツアーのような2次交通の企画をするという。起業に向けた大学生のスタートアップチームも生まれた。「ぼくがチームのメンター的な立場です。映像を通して、リアルタイムで世界中どこでも観光できるサービスを始める予定です」と池田さんは紹介する。やはり起業しやすいのは、ITを活用したビジネスのようである。

 

公益のために私財を投じる伝統

 ライトハウスの運営経費の一部は「チェンジ・ザ・ワールド」をはじめ、支援者からの寄付で賄っている。しかし、ライトハウスもあと2年くらいで手狭になりそうだ。そうなると、次のインキュベーション施設が必要になる。廃校になった学校を借りたいと模索しているが、施設が増えれば運営経費も増える。「できるだけ会社で稼いで、若者の地域文化をつくるために投資したいと思います」と池田さんはいう。

酒田といえば誰もが連想するのは豪商の本間家。池田さんは、「豪商たちは商売で得た金を地元のために使うことに徹していました。本間家の三代目の本間光丘(みつおか)は、砂丘からの砂で田んぼが荒れるのを防ぐため松を植えて砂防林にしました。飢饉の際には、備蓄米を配りました。市内には東北公益文科大学がありますが、公益の祖は光丘です。子どものころから本間様の話を聞いて育ちましたから、ビジネスで稼いだら地域のために使いたいという気持ちがあります」と酒田の伝統を語る。池田さんにとっては、「チェンジ・ザ・ワールド」は稼ぐための事業だが、日本西海岸計画は公益であり、地域の未来のための投資である。「ここにシリコンバレーができるのは50年先かもしれませんが、ぼくには焦りはありません。人生を賭けてやることが見つかったから、楽しくて仕方がありません」。得たものは地域のために使う酒田の伝統につながった安心感でもあるだろう。

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「起業家は起業家の中でしか育ちません。起業したことのない人が起業を教えるのは無理です」という池田友喜さん。

 

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起業を目指す若者たちが励まし合っている日本西海岸計画のパーテイー。

 

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「モシエノ」は庄内方言で「おもしろいね」の意味。市民大学の「モシエノ大学」。

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起業したい人が30人くらい集まって、2日間で仮の起業を

構想してみる「西海岸0→1CAMP」。

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何かをやりたい人、チャレンジしたい人が集まるライトハウス。

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日本西海岸計画は市との共同プロジェクトで、「ショウナイベース」という移住体験ゲストハウスも運営している。

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酒田を代表する本間家は商売で得た金を地元のために使うことに徹していた。本間家の迎賓館清遠閣。

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