特  集

(『かがり火』184号用 森林②西粟倉村)

「百年の森林」づくりの10

 岡山県の北東端に位置する西粟倉村が「百年の森林(もり)構想」を打ち出してから10年たった。「約50年前に木を植えた人々の想いを大切にして、あと50年、村ぐるみで立派な百年の森林に育てていこう」という志の高い構想である。発足当初の動きについては、本誌131号で取り上げたから、ここではその後の歩みを紹介しよう。「百年の森林づくり」は、森林経営管理法のモデルの一つになっている。当然、森林を抱える市町村の今後の森林づくりのモデルにもなろう。

 

1400ヘクタール余りを間伐

 西粟倉村は人口1500人弱の小さな村だが、市町村合併の嵐が吹き荒れた際、合併を拒否して、単独で生きる道を選んだ。自立でいく以上、生き延びる道を探さなければならない。同村は面積の93パーセントが森林で、そのうち82パーセントが人工林である。この森林を生かすしかないというのが「百年の森林構想」の出発点だった。

 「構想」の柱は、森林管理の役場への集約である。木材価格がピークの3分の1に落ち込んでいる状態では、零細な森林所有者は間伐などの手入れを続けられない。役場が森林所有者と協定を結び、森林を預かる方がいい。山が集約化されれば、作業道の敷設もやりやすくなり、コストも下がる。森林組合に作業を委託すれば、安定した仕事が生まれ、若者の雇用も可能になる。そう考えた。

所有者向けの説明会を地区別に開いたほか、「新しい森林づくり発見ツアー」と称して現地説明会も催した。各地区で総論賛成を取り付けた後、所有者との個別の契約交渉に入った。集約化した森林では村が策定した管理計画に基づいて森林組合が施業を行い、施業費用は役場がすべて負担、間伐などで発生した収益は村と所有者の折半という条件である。契約期間は10年間(更新あり)で、所有者の負担は一切なしである。所有者の4割は村外に居住しているし、納得してもらうまでに何度も通う必要のある所有者もいるから同意の取り付けには手間がかかる。それでも、今年3月末現在で所有者724人との契約を終えた。目標のほぼ半分だというが、まずまず順調といっていいだろう。西粟倉村では、地籍調査が進んでおり、境界や所有者が確定していたことが円滑に進んだ一つの理由だという。

3月末までに間伐実施面積は1429ヘクタールになり、作業路の整備延長は94キロメートルに達した。木材の搬出量はかつての年間500立方メートルから10倍の5000立方メートルに増えている。間伐した森林と手入れされていない森林の違いは一目瞭然で、間伐した森林は光が射し込み、保水力が高まっているという。安定した山の仕事が生まれたため、森林組合以外にも森林の施業を担当する会社が3社生まれた。

 

起業32社180名の雇用増加

 「百年の森林」づくりのもう一つの柱は、木材の加工・販売を担当する株式会社「西粟倉・森の学校」の設立である。普通なら、間伐した木材は原木市場に持っていくところだが、西粟倉村では全量を「森の学校」に運び込む。「森の学校」はそのうち約2割を自社や木工会社で加工用に使うほか、約3割を合板・集成材用に大手製材工場に供給し、残った材は木質バイオマス向けに供給するほか、村内の薪ボイラー燃料として活用している。

 「森の学校」はIターン者を中心とした若者の会社である。山や木に関わったことのない社員ばかりだが、かえってその素人感覚がよかったのかもしれない。「森の学校」はやがて、敷くだけで無垢の床にリフォームできるタイル型床板「ユカハリタイル」の商品化に成功した。「今では家を建てる時しか木材を使いませんが、ユカハリタイルだと都会の人が手軽に内装を変える時にも使えます」(上山隆浩西粟倉村地方創生特任参事兼産業観光課長)という利点がある。「森の学校」は廃校になった旧影石小学校を拠点にしてスタートしたが、「森の学校」から分かれて、ローカルベンチャーの起業を支援する「エーゼロ」という会社が独立したし、同小学校などを拠点にした起業が相次いでいる。間伐材を活用した木工では、机や椅子などを独自のデザインで製作する「ようび」や、子どもの遊具を製作する「木の里工房木薫(もっくん)」という会社がある。薪ボイラーなどで地域熱供給を担う仕事も、株式会社「Sonraku」として独立した。西粟倉村は現在、役場庁舎を木造で建て替える計画だが、それを機に新築の庁舎や小中学校、老人保健施設などの村有施設に木質バイオマスボイラーの熱を供給するシステムも整備する。林業の6次産業化が一段と進むことになる。木材関連事業の売上額は「構想」以前の約1億円から約8億円に増加した。

 このほかオーガニックコットンの草木染めをする「ソメヤスズキ」や古民家宿泊施設やフランスパン工房を経営する「軒下図書館」をはじめユニークな起業が続出しており、合計32社の起業で180名の雇用増加につながっている。若者の移住が増えたため、子どもの出生も増えた。転入と転出が釣り合うようになり、減少を続けていた人口もほぼ横ばいになっている。

 村は施業費用などに毎年一般会計から3000万円ほど支出してきた。個人の資産に税金を投入するのはどうかという議論もあったが、森林は個人の所有とはいえ、地域の自然資本であり、公共のものでもあるという理屈で通してきた。起業や雇用が増えた効果などを考えると、安い出費ともいえる。森林所有者には1ヘクタール当たり平均7・3万円の収益を分配している。眠っていた森林からの収益と考えれば、所有者にとっては思わぬ臨時収入である。

 西粟倉村は、ITやレーザー航測の活用でも先駆けている。地形データの把握ができているため、岩の出やすい場所などを避けた効率的な路網整備がしやすい。所有者別にスギやヒノキが何本あり、材積や成長量はどのくらいかというデータも整えているから、森林の管理もしやすい。

 これまで「百年の森林」づくり事業の中核には役場がいたが、昨年10月、所有者から預かった森林を計画的に運用する会社として株式会社「百森」を設立した。森林の集約化や、森林組合への施業発注、「森の学校」への原木販売、所有者への収益分配などこれまで役場が担っていた仕事のかなりの部分を民間に移すことになる。この株式会社「百森」の経営もIターンの若者2人が共同代表で担う。事業の中核部分までよそ者に任せるとは大胆な決断だが、そのあたりの事情は青木秀樹村長(64)に語ってもらおう。

 

(青木秀樹村長インタビュー)

高い森林への投資効果

──10年前に「百年の森林」構想を立てたのはどういう事情からでしょう。

青木 今の山をつくった昭和3040年代は、山がすごく価値がある時代でした。その頃伐採した木は大正時代に植えたものですが、木の需要が急激に増え、莫大な利益を生みました。西粟倉村は昭和30年代には県内市町村の中でもトップクラスの財政力を誇りました。村有林を売って得た収入で村の歳入の半分以上を賄えました。自主自立できるような村だったのです。

昭和30年代に拡大造林が始まりますが、西粟倉村の森林の80パーセント以上が人工林になっているのも、拡大造林への異常な情熱があったためです。せつない思いがするのは、当時植林した世代は自分が収穫するとは思っていなかったことです。子や孫としては、祖父や父親をなじるわけにはいきません。恩を感じています。しかし、木を育てるのにはあまりにも時代が変わりすぎました。現在の1立方メートル当たりの木材の値段は、昭和30年代の値段と同じです。昭和55年くらいをピークに値段は急降下しました。その間に人件費は恐ろしいほど上がっています。木材を売っても、木を伐って出す経費を賄えませんから、森林には誰も触れなくなりました。植林後1015年は下草刈りをしていましたが、それ以降ぴたっと止まってしまいました。

──合併しないで自立の道を選んだことで、村ぐるみでやるしかないと踏ん切りがついたように見えます。

青木 中国地方で残っている村は4つしかありません。合併しないと決断するのにも勇気が要ります。合併をやめたことで、背水の陣を敷いたというか火事場のばか力が発揮されました。合併しないで自分たちは生きていく力があるのかが問われました。面積の93パーセントが山林の村ですから、将来も生き残っていくとしたら、この山を動かさないで生き残れるはずがありません。山を何とかしようと考えて、乏しい村の財源の中から投資しました。個人所有の山林に村の金を投入するのはとんでもないことですが、この村は山が資産であり、これを生かすしか手がありません。

──村が山に投資したおかげで多くの仕事や雇用が生まれました。

青木 国づくりは第一次産業をベースにして考えていくのが基本です。第一次産業を主体として、人を増やしていくことです。中山間地の首長として苦戦してきたのは、以前は長男が残りさえすれば暮らしが成り立ったのが、今は林業や農業専業ではやっていけない世帯を預かっていることです。山に住みたい人はいっぱいいますが、生活が成り立たないのです。林業は山で暮らさないとやれないし、林業が成り立たないと山では暮らせません。そこで、村の財源を投入して、民間の山を管理することにしました。その結果、新しい産業が生まれ、子どもの数も増えました。

 村が森林の施業経費を負担すると、山で仕事をすることができます。若い人たちの林業事業体が2つも3つも生まれています。以前は、山はあっても、仕事を発注してくれる人がいなかったのですが、今は確実に仕事があります。間伐は2回目、3回目と進んでいくにつれて、リターンが大きくなります。最初は作業道を敷設しなければなりませんが、2回目以降は道を付ける必要がありません。まず邪魔になる木を伐り、次は劣勢間伐で価値の低い木を伐ります。その結果、だんだんと、より価値の高い木が残ります。初めは損していますが、次第に収益が上がるようになります。売れた木の収入は、村と森林所有者の折半ですが、村は半分も受け取らなくていいようになります。ざっと3000万円ずつ10年間、一般会計から支出してきましたから、3億円ほど使いましたが、加工などの川下の会社では毎年10億円ほど売り上げていますから、行政としての投資効果は高いと見ています。森林環境譲与税として2500万円くらい入ってくると、村が支出している分をある程度肩代わりしてくれることになります。今後20年先、30年先を考えると、現在所有者と折半することになっている利益の分配率を見直し、所有者により多くお返しできるのではないかと思います。つまり、村が利益の半分も受け取らなくてもよくなる訳ですね。

 

あまりにも山を知らなかった

──「森の学校」を設立し、加工・販売のルートを切り拓いたのが大きかったのではありませんか。

青木 それまでの林業は、原木を市場に持っていって終わりでした。その先は、ハウスメーカーや合板・集成材メーカーに行くだけでした。ほかには販売ルートはほとんどありませんでした。木材の流通過疎状態です。木材の消費者は誰かといえば、家を建てる人であり、木材不況といえば、住宅の着工戸数が伸びないことでした。しかし、国土の7割が森林ですから、木材は山に溢れています。新築の家だけで使い切るのは無理な話です。専門家は節のある柱や板を使うのは考えられないといいますが、やればできます。例えば、「森の学校」が作っている節のある木の床タイルを使えば、素人でもフローリングができてしまいます。高度の加工をしない無垢の素材ですから、汚れたら買い替えればいいだけのことです。いっぱしの家を建てられる人が木の消費者と思っていたのですが、床タイルなら賃貸アパートに住んでいる若者も木の消費者になります。

 若い人たちの知恵で、若い人たちが求めているものを提供していくことができました。彼らは素人だからできたといっていいでしょう。一時は割り箸悪者論が横行しましたが、彼らは「割り箸を使えば使うほど日本の山はよみがえる。一刻も早く間伐を始めなければ駄目だ」と訴えたのです。そういうことをいう連中はどういう若者なのだと注目され、結構都会から人が訪ねてくるようになりました。若者の使命感に火をつけた感じで、川下戦略がうまくいきました。

──若者のおかげでそれまでの山村の常識が覆されたわけですね。

青木 「百年の森林」づくりを10年続けた結果、私たちはあまりにも山を知らなかったことに気が付きました。ここだけでなく、全国のほとんどの人が山のことを知らないといっていいでしょう。山が動いていない状態で林業を衰退産業と決めつけていました。何もわかっていませんでした。山は力を持っています。私たちの市場に対する見方も間違っていたし、いろいろな木の使われ方に気付かされました。

 

よそ者ウエルカムで知恵集め

──村社会はよそ者を警戒するのが普通なのに、西粟倉村ではどうしてIターンの若者をたくさん受け入れられたのでしょう。もともとの住民の抵抗はなかったのでしょうか。

青木 よそ者はすべからく拒否されるのが小さい地域の特徴です。生活が過酷であるほど経験が必要ですから、よそ者は立ち入るべきではないとなりがちです。しかし、西粟倉村は、よそ者ウエルカムです。地域おこし協力隊をよそで経験してからこの村に来た人は、ここはよそとは全然違うといいます。

もともと耕地が少ないこの村がどうして生き残ってこられたかと考えると、街道があり、古くから人の交流があったからです。因幡の国司もこの街道を通りましたし、婚姻によって鳥取県から来た人がたくさんいます。ここに住む人は、体験からよそ者の価値を知っています。よそ者は有益な情報をもたらすし、いろいろな知恵があります。

 「百年の森林構想」を打ち立てて、その旗の下に志のある人や関心のある人が集まってきました。株式会社「百森」は完全なよそ者に森林管理システムの中核を委ねるものです。普通なら、中核部分をよそ者に明け渡すことはないでしょう。簡単にできる芸当ではありません。

──森林経営管理法は西粟倉村の取り組みをモデルにしたそうですが、この新システムで日本の森林はうまくいくでしょうか。

青木 日本は、稲穂が垂れているような収穫適齢期にある山があるにもかかわらず、外国から木材を輸入しています。市場原理に任せておいて国土を維持できるかどうか、危ういものです。森林経営管理法は、税を投入して民間の森林を整備しようということでしょう。それに取りかかるということでは評価できますが、林業が抱える問題を解決することにはなっていません。経済林の経営管理は意欲のある業者に任せることになっていますが、木材が大量に集まってくると、安い木材価格がもっと安くなります。経営管理を任された業者も、コストを賄えるのかなと思います。それまで山をつくってきた所有者には見返りがあるのでしょうか。市場原理でうまく回っていくとは考えにくいでしょう。

──西粟倉村はこれからますます森林管理のモデルとして注目されそうです。

青木 西粟倉村も、林業を持続可能なものにし切れてはいませんが、小さい村ですから活路があります。「百年の森林構想」も、林業の再生とはならないまでも、眠っていた資源をいかに動かすかという点では、パイオニアとしての位置にあります。6次産業化を進めてきましたが、この手法は全国展開できます。多くの市町村は森林管理のノウハウがありません。コンサルタントが必要な状態ですが、西粟倉村が自治体としてコンサルタント業務を引き受けるわけにはいかないので、株式会社「百森」にやってもらっています。「百森」には全国展開のチャンスだといっています。

 

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