編集後記
●少しは本も読み、偉い人の話も間いて年を取ったが、ついに私には確固とした正義感、道徳というものは身に付かなかった。私の善悪の判断の基準となっているのは思想でも哲学でもなく常識である 常識というのは、はなはだ曖味なもので、「日本の常識は世界の非常識」といわれるぐらいだから、明確に定義できるものではない。それでも信仰をもたず、武士道とも縁のない身には常識が唯一の道徳律である。この道徳律はケースバイケースで、伸縮自在、まあいいかげんなものである。
●例えば地下鉄の切符売場で前の人がおつりを取り忘れて100円玉が残っていたとする。あれっと思って見回してもその人はすでに改札内の雑踏に紛れて見えなくなっている。私はその100円をコイン挿入口に入れ、10円玉を足して切符を買うだろう。若千のうしろめたさはあっても「まっいいか」と思ってしまうのである。しかし、1万円が残っていたら(こんなことはあり得ないけれど)、う―ん少し迷うかもしれないが届けるだろう。
届ける金額と届けない金額のはっきりした基準を持っているわけではない。「こんなことをすればバチが当たる」と思えば、やめる。神さまもこのぐらいは大目に見てくれるだろうと思えばズルをする。じゃあ、どこまでがバチが当たる範囲なのかといえば、それなりの基準があるのである。頭の後方から「ばかたれ―」と亡き母親の声が聞こえてくれば、やめる。こんな私を家人はただ気が小さいだけだと評する。
●食材の誤表示という名の偽装が発覚して大騒ぎになった。テレビでは例によって識者といわれている人たちがモラルの崩壊であるとか、おもてなしの精神にひびが入ったとか、憂えていた。テレビ民主主義というのは大衆の大多数の平均化した正義感に依拠しているらしく、「だまされたお前が悪い!」なんて言う人は一人もいない。
 本誌は有名ホテルやデパート、老舗の料理店を擁護する気はないけれど、ケシカランという気にもならなかった(身銭を切ってまで行こうとは思わない店だからかもしれない)。
 偽装の初期段階はごくごく平凡なことから始まったのではないだろうか。たぶん仕入れの担当者は今日は芝エビが手に入らなくて仕方なくバナメイエビを仕入れた(といっても本誌は芝エビとバナメイエビの区別はまったくつかないけれど)。相談を受けた上司も「まあ仕方がないか」と応じたのだろう。今日一日ぐらいはこのまま出してもバチが当たらないだろうと現場も管理職も思ったに違いない。表示をいちいち修正するのも面倒だし。その日は一日はらはらしていたけれど、幸い客の誰からもクレームが出なかった。それで二日目も出してみた。やはり文句が出ない。なあ―んだ客の舌なんてあてにならないんだとタカをくくってしまった。こうして三日日、四日目とずるずると続けていった。みんな根っからの悪人ではないけれど、いつの間にか常習犯になってしまったのだ。国民の大多数と性癖は似ていると思う。
●問題になっている都知事も似たようなものではなかったのか。今日は返そう明日は返そうと思っていたに違いない。しかし、先方から返済してくれという催促もなし、お金を受け取った事実を知っている人はごく少数だし、まあそのうちにと考えているうちに、ひょっとしてこのままうやむやのまま自分のものになるのかもしれないと考えてしまった。ところがグズグズしているうちに思いがけないところから発覚してしまった。「しまった!」と思った時は手遅れだった。猪瀬さんを平成13年82号でインタビューしているだけに、本誌としては本当に残念である。
●食材偽装ではあまり頭に来なかったのは、だまされた客も浅はかだと思う気持ちがあったからである。有名レストランの高価な料理は味も材料も一流と信じている愚かさは、 一流大学の出身の人は「頭がいい」と学歴を尊重する人と似ている。東大出身であってもへんな人はいっぱいいるし、学歴と人間的価値はまったく関係ないのである。
●ホテルやレストランには寛容な態度を見せる本誌だが、非常な不快を感じたのは、日展の審査問題である。あらかじめ入賞者の枠が決まっていて、有力審査員の弟子でなければ簡単には受賞できないという弊習があったという。貪欲で狡猾な審査員を恨んで、もし才能のある若い書家が殺傷事件でも起こしていたら松本清張の世界である。
 本誌がこの事件にことさら嫌悪感を持ったのは、おそらく権威といわれた人たちは、その権威をかさに着て、立場の弱い人を蹂躙していただろうと推測するからである。この場合の権威は、何も何々のドンと言われる人だったり、大臣とか教授とかという人でなくても、役所の窓口でも同じことだ。12時を1分過ぎて住民票を取りに来た住民に対して「1時から受け付けますから出直してください」と横柄な態度の職員も、権威をかさに着ているという意味で同じということだ。
●読者の皆さまにとって今年はどんな年だったでしょうか。本誌にアベノミクスの恩恵はまったくありませんでしたが、このことはむしろ感謝したいぐらいです。日々の暮らしを地道に積み重ねていく以上の幸せはないと思っているからです。 (K・S)

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