132号「かがり火」日記(その1)
『かがり火』日記 その一
某月某日 
 JR中央線の東京・高尾駅の「ichigendo」を訪ねる。「群言堂」のブランドでおなじみの島根県大田市の石見銀山文化研究所が出店したカフェスタイルのナチュラルフードショップ。店名の由来は案内状に「『物事を極めた個人の発言で率いられる世界』という意味があり、『食(味覚)』の提供者は『一言堂』でなければならないというコンセプトから名付けられました」とあった。オーナーの松場大吉、登美夫妻が考え付いたというだけに、いい名前である。
 店は改札口のすぐ隣の駅舎の中にあり、手前に白神酵母で作られたパンが並べられていて、奥が喫茶になっている。店内には、箸や皿や趣味の小物、それに島根県安来市の大正屋醤油店のしょうゆなども置いてある。
以前、松場登美さんに、「どこか落ち着いた街にある古民家などの情報が欲しい」とお願いされたことがあったけれど、よく群言堂のセンスに合ったロケーションを探し当てたものと感心した。ここは、高尾山の登り口だが観光地としてのざわつきがない、いい街なのである。
4月下旬には、この店の隣に「群言堂」がオープンの予定で、訪ねた時はまだ工事中だった。オープンしたら、再度ご案内させていただきます。

某月某日 
 「常陸国部垂03農苑支局」の黒澤勝さんからお誘いがあって、「農の未来を語る会」に参加。会場は茨城県常陸太田市にある西山研修所。講師は農業ジャーナリストの大野和興さん。大野さんの仕事には以前から敬意を抱いていたので、お話を伺ういい機会だった。
「食料だけはWTOの自由貿易の枠組みから外すべきではないか」という考えに共感した。
講演が終わって、交流会が始まった。研修所では料理ができないらしく、町のお店から仕出し弁当が運ばれてきた。運んできた女性が私の顔を見て、「会ったことがあるわ」とおっしゃる。すぐには思い出せなかったが、もう10年以上も前、私が東京の市谷柳町で地域交流居酒屋<新・浪漫亭>の経営に携わっていて、「手打ち蕎麦を味わう会」を企画した時に、蕎麦打ちをしてくださった方だった。その北原さんは、当時から地元で「旬」という蕎麦屋さんをやっていらしたことを初めて知ったのだが、久しぶりの対面で楽しい時間を過ごすことができた。
研修所に泊まった翌日、黒澤さんは水戸光圀公が隠居して大日本外史の編さんに当たったという隠居所「西山荘」を案内してくれた。茅葺きの家の隠居所に、梅が満開だった。
■たべもの工房「旬」〒313-0042 茨城県常陸太田市磯部町1000-4 TEL 0294・72・0570

某月某日 
 三重県のJR紀勢本線津駅で「雲林院支局」の杉谷知也さんと合流。三重県に入るといつも杉谷さんのお世話になるが、この日は大台町まで車で連れていってくれた。途中、亀山市関町の重要伝統的建造物群保存地区を案内していただく。ここは、歩きくたびれるほど長い通りが保存地区になっていた。しかも、その建物には人が住んでいる。その通りの真ん中ぐらいに、「関の戸」という古いお菓子屋さんがあって、十三代目のご主人・服部吉右衛門康彦氏のお話を伺うことができた。お菓子の「関の戸」はどんなに要請があってもデパートなどに出店することはせず、地元のみで営業してきたという。地方の町もビルだらけになって味気なく思うことが多いが、こういう古い町並みが残っていることにほっとする。
■「銘菓 関の戸」〒519-1112 三重県亀山市関町中町387番地TEL&FAX 0595・96・0008

132号「かがり火」日記(その2)
『かがり火』日記その二
某月某日 
三重県大台町では小椋弘美さんが、「奥伊勢フォレストピア」の敷地内にある鮎料理の店「宮川」で交流会を開いてくれた。集まってくれたのは、津から同行してくれた杉谷知也さん、久しぶりに再会した松阪市の川村浩稔支局長、それに「八兵衛」という銘柄で有名な地元の元坂酒造の元坂社長が駆け付けてくれた。元坂さんが持参してくれたのは「山廃純米無濾過生原酒」。どちらかというと私はビール党だが、こんなに日本酒がうまいと思ったことはなかった。
 もう一つ、大台町では面白いことがあった。「長ケ(なが)の未来を語る会」というまちづくりセミナーが開かれていたが、ここをのぞくと、何とゲストが山形県庁の変差値公務員・高橋信博さんだった。偶然の再会にお互いに驚く。彼は各地のまちづくり事例をスライドで映し出して説明していたが、そのスライドに宇和島市の藤田圭子さん(早稲田大学四年生の時、本誌103号に寄稿いただいた。現在は愛媛新聞社勤務)も映し出されて、またまたびっくり。23年間もまちづくりにかかわっていれば、関係者とはどこかでつながるものらしい。

某月某日
 姫路駅から博多駅に向かう新幹線の中で、「萩&北九州支局」の山中修さんと遭遇、といっても偶然ではない。私の取材スケジュールをお知らせしたところ、博多港から出る五島行きのフェリーは午後11時半だから、時間を持て余すだろうと、自家製のどぶろくをお土産に小倉駅から乗り込んできてくれたのであった。何という優しさだろう。
おかげで博多港の居酒屋で、山中さんが取り組んでいる地域通貨についてもたっぷりレクチャーをしていただいた。東京に戻ったら、NHKのBSで放送された『エンデの遺言−根源からお金を問う−』というビデオも届いていた。じっくり勉強してから取材に取り掛かりたいと思う。ということで、『かがり火』の次号の特集は地域通貨です。ご期待いただきたい。

某月某日
長崎県小値賀町で山田憲道町長の取材(本文10ページ)が終わった後、和食の店「太閤」に案内していただく。途中から小値賀観光まちづくり公社の小辻隆治郎さんも合流。ブリ、アジ、タイなどの刺し身もうまかったが、小指の爪ほどの小さなカキを、大根おろしとポン酢で食べたのがうまかった。地元では「せっか」と呼んでいるらしいが、東京では見掛けたことがない。この店には、福島県矢祭町の根本良一夫妻もご案内したことがあるというので話が盛り上がる。店の勘定は取材時の町長の話を裏付けるように、3000円のワリカンだった。町長の言行一致が証明されて気持ちのいい晩だった。
■ 太閤 〒857-4701長崎県北松浦郡小値賀町笛吹郷1432 TEL 0959・56・2447

131号「かがり火」日記
『かがり火』日記 菅原歓一

■某月某日 
 山形県長井市の伊佐沢に金子宣興さんを訪ねる。金子さんは平成16年の102号で紹介したけれど、農業の傍ら「蔵高宿」というそばやをやっている。今回、再訪したら、そばやはIターンの佐藤仁敬さんに任せて、ご本人は農業に専念していた。「蔵高宿」は、金子さんを慕って集まってくる若者たちのたまり場になっていた。次号では、Iターンのそば職人・佐藤さんに寄稿していただく予定である。

某月某日
 取材で訪ねた佐渡市野浦で、後藤一安さんの実家に泊めていただく。後藤さんは、東京・表参道にある新潟県のアンテナショップ「ネスパス」の館長で、いまは東京住まいだから実家は空き家である。
 後藤さんはいつか故郷に帰ってまちづくりをしたいと思っているから、機会あるごとに帰省して、集落の会合などに参加している。たとえ東京に住んでいても、しばしば田舎に帰って、幼なじみと意見交換するのも一つのまちおこしであると感じた。
                  ※
 佐渡市での取材最終日は、下川茂の佐々木伸彦さん宅に泊めてもらった。馬路村での「まちづくり交流会」で一度会っただけなのに、ちょっと図々しかったかもしれない。
 佐々木さんには、観光コースでは見ることのできない素顔の佐渡を案内してもらった。その一つが宿根木。重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて、狭い土地に古い民家が密集している。車がなかった時代の町並みだから、道が狭くて車は入れない。佐々木さんはある家の玄関を開けて、「いるかい?」と声を掛けた。しばらくたって佐藤チョウさんというおばあちゃんがゆっくりと顔を出した。95歳だという。佐々木さんは一人暮らしのご老人を訪ねては無事を確認しているのだった。
 佐々木さんは先年、宿根木の郵便局長を定年退職した。住民の家々を回って消息を確認するのは、現役のころからの習慣だという。この郵便局はお茶とお菓子を出してくれて、住民の憩いの場所にもなっていた。

■某月某日
 東京・神田駿河台にあるレストラン「フェアビンデン」(ここは緑提灯の店の中でも国産食材を90%以上使っている5つ星の店)で開催された『雑報 縄文』の300号記念パーティーに参加。『雑報』は鈴木厚正さんが農水省の現役時代から発行しているB5判・24ページほどの小冊子だが、すべて手書きで、自宅に簡易印刷機を置いて刷り、ホチキスで留めたものだ。キャッチフレーズは「ITよりも逢いてぇ」で、文字どおり人と人のつながりが感じられる。メディアの原点ともいうべきもので、『かがり火』編集部でも愛読させていただいている。

■某月某日
 東京・神田神保町の「おむすび茶屋」で、柴原薫さん(本文30ページで紹介)と親しい人たちが集まる会があった。その席で、炭焼き界の大御所、杉浦銀治さんと再会した(平成9年59号で紹介)。杉浦さんは国際炭やき協力会会長で、今年85歳になるというのに、かくしゃくたるもので、頭脳もまた明晰だった。現在もインドネシアのバリ島や、アフリカのガーナなどで炭焼き指導をしているという。
 会食している2時間の間、一度も「私も年だから」とか「そろそろ身辺を整理して……」というような言葉は聞かれなかった。これからやりたい計画を次々に語るのだった。後期高齢者というイメージには程遠い方だった。

【お知らせ】
●『かがり火』のデータベースができました。エクセルを使用したものですが、発行年月、号数、テーマ、登場人物、取材した土地の5項目から検索できます。ご希望の方には無料でお分けしますので、メールでお申し込みください。
(kagaribi@ruby.famille.ne.jp)

●5月9日、『かがり火』復刊記念フォーラムを開催します。会場も時間もゲストも参加費も未定です。決まっているのは開催日と内山節編集長の出席、それに実行委員長が『かがり火』のメーリングリストの管理人・山中千花さんということだけです。これから企画を練り上げていきますが、日程だけは空けておいてくださいますように。詳細は決まり次第、ホームページ、メーリングリスト、『かがり火』の次号でお知らせいたします。

130号「かがり火」日記
休刊していたこの半年、あまりに多くの出来事がありました。そのすべてを報告できませんので、ごく一部を紹介させていただきます。

■8月29日 この日だけは某月某日と記すわけにはいきません。『かがり火』の復刊を話し合うために、本誌支局長と読者が122人も、東京・新宿区霞ヶ丘町の日本青年館に集まってくれました。北海道や沖縄からの参加者は、一泊しなければならなかったから、旅費と参加費を合わせると相当な出費になっただろうと思います。
 また、「参加したいが用があって、どうしても行けない。しかし、復刊はきっと応援する」という多くの支局長からの連絡もありました。
会議では、本当に侃々諤々、いろいろな意見が出されました。
「発行回数を減らしてコストダウンすべき」「経営と編集を分離したほうがいい」「読者は地元の図書館を回って、購読をお願いしたらどうだろうか」「それより寄付を集めて資金をつくるのが先決だ」などなど。
本誌は、出来の悪い生徒が、心優しい友人たちや熱血教師に囲まれて叱咤激励されているようでしたが、復刊の決意を固めた日でありました。
ゲストとしてご参加いただいた広告主であるサラダコスモの中田社長は、「ここに集まった人たちは理解を超えている。どういう感覚、どういうエネルギーの持ち主なのだろう」と首をひねっていました。
 この日は、スペシャルオリンピックス日本・名誉会長の細川佳代子さんも参加してくれました。細川さんは本誌の読者だったわけではない。集会の1カ月ぐらい前に、定期購読の申し込みをいただいたのですが、休刊したので、本をお送りできないという返信を差し上げたら、心配して急きょ駆け付けてくれたのでした。
この会議の模様については、『かがり火』のメーリングリストにアップしましたが、今からでも議事録をご覧になりたい方は、アドレスをお教えいただければ送信いたします。


■某月某日 「森巌夫先生を偲ぶ会」が東京永田町の全国町村会館で100人の出席者を迎えて開催された。森先生が亡くなったのが今年の5月1日、連休の前日で役場や学校関係には連絡がつかなく、親交のあった人たちでも葬儀に参列できなかった人も多かった。森先生を慕う人たちから、「偲ぶ会」を熱望されての開催だった。
先生は地域活性化センターの地域リーダー養成塾の塾長もやっていたので、薫陶を受けた塾生も大勢参加した。また、山形県小国町の小野町長、最上町の高橋町長、遊佐町元町長の小野寺喜一郎さん、山梨県早川町の辻町長、長野県栄村元村長の高橋彦芳さん、福島県塙町元町長の二瓶隆男さんなど大勢の首長さんも駆け付けてくれた。この会の事務局は山形県小国町役場が担当してくれた。職員の阿部英明さん(山形おぐに白い森支局長)の用意周到というか、水も漏らさぬといえばいいのか、万全の準備ぶりには感心させられた。
本誌の支局長も大勢参加してくれたので、会終了後は会場を神田のサロン「なみへい」に移動して、先生を偲んで杯を重ねたのでありました。にぎやかなことが好きだった先生でしたので、喜んでくれたと思います。合掌。
 キャップ
 会場には、にこやかにほほ笑む森先生の遺影が飾られた。
森編集長を偲ぶ本誌支局長たち。
■某月某日 「上州片品の大白村支局長」の千明市旺さんが山崎記念農業賞を受賞されたので、お祝いに駆け付けた。
この賞は1972年に故山崎不二夫東京大学名誉教授が中心になって創設された賞で、農業・農村や環境に有意義な活動を行い、成果をあげている個人や団体に与えられるもの。農業関係の方にとっては権威のある賞である。千明さんは、酪農に失敗して一時は自殺まで考えたというが、地元の大白大豆を使用して豆腐を作って見事によみがえった。
面白いのは、酪農と豆腐は何の関係もないのに、ある日、“豆腐をやりなさい”という神様のささやきが聞こえてきたというから、ちょっと神がかりである。苦労の連続の末に、このような賞の受賞となって本当におめでたいことである。

■某月某日 群馬県上野村で開催された「第二回 多数派をめざす上野村シンポジウム」に参加。昨年の第一回の模様は本誌の126号で報告したけれど、今年も100人近い参加者があって盛会だった。
シンポジウム終了後は、村が運営している山村留学の「かじかの里学園」を見学。財政が厳しくなって、山村留学をやっていた自治体でも撤退するところが多いが、上野村ではやめる意思はまったくないという。学園では小中合わせて12人の子どもたちが共同生活を送りながら、地元の学校に通っていた。食事は子どもたちが作り、テレビもゲームもなし、遊びは山と川、たくましい子どもたちが育つに違いない。
■某月某日 山形県大蔵村で開催された第5回「日本で最も美しい村」連合の総会に出席、順調に加盟町村が増えて、今年は33になった(本文16ページ)。
この会は加盟自治体の年間の負担金として住民一人当たり10円でスタートした。今年、改定されて25円になったが、それでも安い。財政が厳しい町村に負担が掛かるようでは会の存続が困難になるという考えからだったが、それでは活動費が不足する。そこを民間企業36社がサポーターとして賛助金を出して応援している。応援する企業は損得抜きで、日本の地方が美しくなることを祈っている志のある企業なのだ。このような運動が定着すれば、日本の地方も輝いてくるに違いない。


■某月某日 「コウノトリ育むお米」の西村いつきさん取材のため豊岡市を訪問(本文26ページ)。その日、宿泊した農家民宿「里の宿」 がすてきだったのでご紹介したい。
江戸時代は庄屋さんだったという旧家で、多田邦子さんが一人で運営している。母屋は200年前、離れは120年前に建てられたもので、一日1組しか予約をとらず、宿泊客は二階建ての離れを貸し切りで使用できる。部屋は広いので10人以上のグループで借りても余裕がある。
多田さん手作りのおいしい料理を、輪島塗、九谷焼、伊万里焼などの素晴らしい器で味わえるのもうれしい。一泊二食で7700円(税・サービス料込み)。離れはお風呂にキッチン、大型冷蔵庫も備えられていて長期滞在も可能。素泊まりは一泊4500円。老舗旅館に泊まるのもいいけれど、古い民家に泊まって、その家の歴史を聞くのも旅の面白さである。「里の宿」〒669-5358兵庫県豊岡市日高町殿467 TEL 0796・44・-0575

■某月某日 熊本県玉名市から「岱明 干潟が広がる鍋松原海岸支局長」の吉田富明さんが認定農業者の仲間たち11人と上京。「第12回全国農業担い手サミットin埼玉」に参加するためだった。
神田の「なみへい」で再会を祝して乾杯したが、みなさんすこぶる元気である。各人が自己紹介ということになったら、参加者の一人が「先日、車を電信柱にぶつけてしまいまして・・」と言って、「ハイ、事故紹介でした」とギャグを飛ばした。
今はデフレ不況で、ものが売れず、商業も工業も暗いのに、彼らのこの明るさはどこから来るのだろう。株価や為替に一喜一憂しなくてもいい、農業の強味かもしれない。

【お知らせ】
※『かがり火』は読者の皆さまと一緒になって作る雑誌です。本誌をより身近に感じてもらうための企画を考えております。その一つが読者同行取材です。
これまで多くの読者から、“『かがり火』の取材に一緒について行きたい”とのご要望がありましたので、“どうぞついてきてください”ということにしました。取材先の了解を得られるテーマについては、読者と一緒に出掛けたいと思います。取材の日程は、メーリングリストに随時アップいたします。同行を希望される方はご連絡ください。ただし、交通費等はご自分で負担願います。
※内山新編集長への読者参加型インタビューもスタートさせたいと思います。インタビュアーには読者からご応募いただいて、最も聞いてみたいテーマを編集長にぶつけるという形式をとりたいと思います。場所は、東京・本郷にある喫茶店「こころ」を予定しております。こちらも日程をメーリングリストに掲載しますので、参加ご希望の方はチェックの上、ご応募ください。なお、メーリングリストをご覧になるにはアドレスの登録が必要です。閲覧ご希望の方は、下記までアドレスをご連絡願います。

129号「かがり火」日記
■某月某日 東京・神楽坂の日本出版クラブ会館で開催された「内山登紀夫先生・細川佳代子さんの出版を祝う会」に出席。細川佳代子さんが1991年にスペシャルオリンピックスと出会うことになったきっかけ、そして2005年に長野冬季大会を成功させるまでの経緯については、本誌127号で紹介した。
出版パーティーは、精神科医で、児童精神医学の専門家である内山氏と協力して出版した『特別支援教育をすすめる本』全4巻(第1〜3巻が内山先生が監修、第4巻が細川さんプロデュース/ミネルヴァ書房刊) の完結を祝うものだった。同時に、細川さんが文章を、絵を東郷聖美さんが担当した『ともこちゃんは銀メダル』(同社刊)という絵本も出版された。
 あいさつに立った細川さんは、「日本は先進国の中で、障がい者に対する理解がいちばん遅れている国です。私はスペシャルオリンピックスに出会ってから、何としても一般の日本人から偏見や誤解を取り除き、社会の脇役であった障がいのある人たちが生き生きと地域社会の主役になって暮らせることを願って活動を続けてきました」と述べた。
この本は、発達障がいとはどんな症状があるのかを解説したワークブックである。本はクイズ形式になっていて、「障がいのある子どもたちに、できないことは全部してあげることはいいことかわるいことか」などという質問に答えるかたちで構成されている。だから対象読者は普通の小学生、中学生であり、支援の必要な子どもたちに接する教師、保育士、指導員、保護者となっている。
 会場では、障がいのある子どもたちが自らカメラを回して取材する「ビリーブクルー」が活躍していた。子どもがマイクを持って両氏に、「この本はどんな人に読んでもらいたいと思って書きましたか?」などとインタビューしていたのが印象的だった。
 細川さんの行動力、説得力、情熱や一貫性からして、もしこの人が政治の世界を目指していたなら魅力的な政治家になっていただろうと想像した。彼女は日本のヒラリー・クリントンのような存在になったかもしれない。

■某月某日 東京・丸の内の新国際ビルで開催された場所文化機構(コミュニティビジネスを生み出すための仕組みを研究しているグループ)主催の<日本再生“緊急”シンポジウム>に出席。この日は、群馬県高崎市、山梨県甲州市、北海道帯広市、愛媛県松山市、宇和島市、富山県南砺市で取り組んでいるさまざまなプロジェクトの報告があった。これらの報告を聞いていると、地域振興といえば大型開発が主流であった時代は完全に終焉し、その地域の身の丈に合った社会性のあるビジネスが主役になっていることが分かった。
 シンポジウムでは、地方と都市の新たな関係性の確立を目指す任意団体・場所文化フォーラムの代表幹事である吉澤保幸氏(126号で紹介)の提言が興味深かった。今の銀行は拡大再生産を前提にした資本の論理で運営されているから、地域づくりに関係するコミュニティビジネスの事業体には融資しない。しかし、本来の銀行は、昔の無尽や頼母子講が原点であったはずだから、「銀行は共同体(地域)から資金を預かり、共同体(地域)のいのちの循環を促して、共同体(地域)に貢献する存在」であるべきだと主張する。
その具体例として、愛媛銀行が設立した「えひめガイヤファンド」という民間初の投資ファンドを紹介した。このファンドは地元の農林漁業とその関連産業に投資しているもので、従来の銀行とは違って、融資した後も専任担当者を置き、財務支援や販売支援からビジネスマッチングまで、コミュニティビジネスが地域のコアとなる経営体に育つように全面的に支援(ハンズオン)しているというものだった。吉澤さんは、持続可能な地域社会を構築するためには、金が金を生む利子というものを再考し、相互扶助的な温かいお金の使い方が大切になると力説していた。
どんなに知恵と情熱があっても、お金がなければ事業は立ち上がらない。従来の金融機関では窓口で断られるような案件でも、このようなローカルファンドの支援があれば、地域に密着したビジネスが可能になる。大いに期待したい。

■某月某日 神奈川県箱根町の仙石原文化センターで、上甲晃氏(志ネットワークを主宰)が開催した「日本 この手で何とかする箱根会議」に参加。このフォーラムには北海道から船木耕二さんと水口正之さん、山梨県から舩木上次さんの本誌支局長も参加していた。
上甲さんは本誌84号に登場いただいたが、その後、志ネットワークは順調に拡大して、この日も600人近くの参加者があって大盛況だった。上甲さんは、松下政経塾の元塾頭で、第1期から第16期まで、200人の塾生を世に送っている。上甲さんが、松下幸之助さんの教えを繰り返し語り続けているので、「経営の神様」は輝きを失わないのかもしれない。
この日の参加者は、松下政経塾の関係者だけではなく、上甲さんが主宰している「青年塾」のメンバー、そして氏と交流してきた人たちなど多士済々の顔触れとなった。元塾生の、鈴木康友浜松市長、長濱博行参議院議員、逢沢一郎衆議院議員、村井嘉弘宮城県知事、中田宏横浜市長、山田宏杉並区長、そして松下政経塾出身ではないけれど中村時広松山市長など政治家や首長の姿もあった。他に、料理研究家の辰巳芳子さん、評論家の櫻井よしこさんがゲストだった。
 山田宏杉並区長の怒りのスピーチが印象的だった。
「ノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさんは、“もったいない”という言葉を日本人に思い出させてくれたが、日本にはもう一つ、“みっともない”という言葉がある。ところが、パリのドゴール空港で、日本の高校生がだらしなく床に座っていたところを目撃しました。ロサンゼルス空港では日本の高校生が集団万引というニユースもあって、まったくもって、みっともないことをしないという精神がどこに行ってしまったのか」

■某月某日 北海道下川町の谷一之さん(本誌支局長)が上京、東京・上野の居酒屋で旧交を温める。谷さんには前号の「本誌読者の経営者は100年に1度の危機にどう対処しているか」に寄稿いただいた。建設会社の社長さんだから経営は厳しいはずなのだが、「うちは公共事業といっても道路の管理やメンテナンスが中心だから」ということで、毎月、入札ではらはらすることはないらしく、至って元気だった。
 非常に感心したのは、新事業として別会社を設立し、「のーすもーる」(北の森という意味)というインターネットの通販事業を始めたことだった。社員の中にパソコンに詳しいスタッフがいたので始めたという。すでに多くの通販事業があるから、後発でどこまで注文が伸びるか心配だったというが、開店した2005年から2008年までの4年間で220万件のアクセスがあり、8万4000人のメールマガジンの会員を獲得した。売り上げも順調に伸びているという。
「のーすもーる」の特長は、掲載する生産者には、どんな遠方でも必ずスタッフが現地を訪問し、商品を確かめて取材していることだ。北海道は広く、交通費も大変だろうが、そのまじめさがサイトの信用につながっているようだ。

■某月某日 山梨県富士吉田市の「甲斐絹座」が東京南青山の「イチーズギャラリー」で展覧会を開催。「甲斐絹座」については、125号でメンバーの一人?前田源商店の前田一郎さんを紹介した。
ギャラリーには、鮮やかな甲斐絹で制作したクッション、バッグ、それに新商品のネクタイが展示されていた。今更ながらに地場の蚕から織り上げた絹の見事な光沢に目を奪われた。
こういうものに囲まれて暮らしていたら、感性が豊かになるだろう。しかし、昨年、取材させていただいた時のお話では、この分野も海外製品に押され気味で大変なようだった。何しろ、価格では競争にならない。しかし、問題なのは価格よりも、日本人が本物と偽物を区別する目がなくなってしまうことではないかと心配になる。
・甲斐絹座 〒403-0004 山梨県富士吉田市下吉田1503-4 ?前田源商店
TEL0555・23・2231 FAX0555・23・8988 mail info@kaikiza.com

■某月某日 東京ビッグサイトで開催されたギフトショーに、岐阜県中津川市から特産の「あじめコショウ」を出展している本誌読者の早川裕康さんを激励訪問。早川さんは地元の有志たちと「好辛(こうしん)倶楽部」を結成、地元の伝統野菜である「あじめコショウ」の普及に努めている。コショウといっても唐辛子の一種で、地元の付知川に住むアジメドジョウにその姿が似ていて、辛さの中に甘みのある見目麗しい味ということから、味女(あじめ)と称されることになったという。
 早川さんの本職は小さなスーパーを経営しているのだが、大型ショッピングセンターの進出で売り上げは先細り、そこでオリジナル商品に起死回生の夢をかけて「あじめコショウ」を開発した。小さなタネ火でも一生懸命吹いて大きく燃え上がらせようという、地方の経営者の熱意に頭が下がる。
「地元のあじめコショウと静岡のシラスと長野のみそをブレンドした『とんからしらす味噌』はヒットしまして、道の駅などでよく売れているんです」とのことだった。
 ご関心のある方は、下記ホームページからご注文ください。なお、この商品は、サラダコスモの売店でも扱われています。
・ 連絡先 (有)カネマス福丸屋 〒508-0203 岐阜県中津川市福岡978番地の18
TEL0573・72・2013 FAX0573・72・2594 URLhttp://www.fukumaruya.co.jp/
mail info@fukumaruya.co.jp

128号「かがり火」日記

■某月某日 東京神田駅の近くにあるサロン「なみへい」(本文30ページ)で『かがり火』の新年会を開く。本誌が運営していた<新・浪漫亭>がなくなってから、気軽に交流会を開催できる場所がなくて不便を感じていたが、この店は都市と地方の交流に力を入れていて、<新・浪漫亭>と似たコンセプトなので非常にありがたい。ママの川野さんは客の要望に柔軟に対応してくれるので、地域づくりの仕掛け人たちが集まるにはぴったりの場所だ。新年会のほうは40人も集まってにぎやかな会となった。携帯電話とメールがいかに隆盛の時代とはいえ、人と人の本当の交流は、“ナマ”でないといけないようである。
※『なみへい』の連絡先は本文32ページに掲載
■某月某日 同じ「なみへい」で、全国ふるさと大使連絡会議の杉原健児会長(75)をインタビュー。この連絡会議に本誌は以前から敬意を抱いている。会員の皆さんは、自分のふるさとのために何らかの役に立ちたいと手弁当で活動している(昨年の全国大会の様子は、前号の『かがり火』日記で報告)。
ふるさと大使というのは、都道府県や市町村、商工会や観光協会などが、地元に縁のある方に“大使”になってもらって、観光や物産を口コミでPRしてもらいたいという趣旨のものである。最も古いのは鹿児島県の「薩摩大使」で、1984年に発足した。鹿児島県の焼酎ブームは、薩摩大使たちの口コミの宣伝が功を奏したといわれている。
杉原さんは、連絡会議の3代目の会長で、北九州ルネッサンス大使を拝命している。
「ふるさと大使は、最近にわかに注目されまして、現在は381団体、410制度あります。大使の名刺を委嘱団体から渡されている人はおそらく1万人を大きく超えていると思います。最近、自治体がふるさと大使制度をスタートさせているのは、財政困難の折から、“ふるさと納税”を期待しているという理由もあるようです」
杉原さんも3万円納税したという。連絡会議が立派なのは、どこからも1円の補助も受けず、会費だけで運営していることだ。平成8年8月8日の発足以来、年4回の『かわら版』は休まず発行しているし、全国大会も連続13年開催している。
「会員は退職したメンバーが多いので、平均年齢は60歳を超えていると思いますが、それだけ、自分のふるさとのために何か役に立ちたいという思いは強い人ばかりです。若いころは、がむしゃらに仕事をしていた人たちも60、70になるとふるさとが懐かしいんですね。会員の人たちは時間も経済的余裕も比較的ある人たちですから、地方自治体はもっとわれわれを活用してほしいですね」
ふるさと大使たちが積極的にふるさとにかかわろうとしているのに、自治体によっては委嘱しっ放しで、何のフォローもないところもあるという。これではせっかくのふるさと大使が生きてこない。ふるさと大使同士が横の連絡も取り合っているから、上手にコラボレートすれば頼もしい応援団になる。
「会員は自分のふるさとだけを応援しようというのではなく、日本のふるさとを応援しようという人たちですから、物産フェアなんかを東京で開催する時や、地元でのイベント開催でも助っ人になってもらえると思いますよ」
ふるさと大使制度を発足させたい自治体には、相談にも乗りますとのこと。なお、この連絡会議は大使の名刺を持っていなくても、ふるさとを応援したいという気持ちのある人ならば参加できるということです。年会費は1口2000円(2口以上大歓迎)、団体は5口10000円。会員の申し込みはホームページからできます。
http://homepage3.nifty.com/ne/ta/

■某月某日 青森県田子町の役場職員山崎美代志さん(本誌支局長)から、次のような手紙が届いた。
「今年もどうぞよろしくお願いします。さて、この度、私どもの集落・新田の取り組みが『にほんの里100選』に選ばれました。これを機会に、来る平成21年10月18日(日)開催される第11回『水車搗き・新そばまつり』に是非おいで下さい。心からお待ちしております。山崎」
山崎さんからの手紙はいつも簡単だ。本誌は即座に「必ず行きます」と返事を出した。
田子町新田村は、人口約150人、42戸の小さな集落である。100選を紹介した新聞には、「転作のソバを生かす。江戸期から残るという水車で粉をひき、『新そば祭り』を開く。収入で自治会費はゼロ。里山も積極活用」とあった。いかにものんびりした水車小屋の写真も掲載されていた。
 山崎さんは平成元年から2年間、東京・牛込柳町にあった居酒屋<浪漫亭>に出向した。<浪漫亭>は、本誌の元編集長だった故鈴木繁夫さんが経営していた店で、役場職員が店員として働いている店として有名だった。山崎さんは鈴木さんの毒舌にさらされながら、行政職員の役割とは何かということを教えられたという。鈴木さんが倒れて、<浪漫亭>が<新・浪漫亭>となってから、本誌と山崎さんとの親交は一層深まった。
1997年発行の本誌60号では、町の改革に取り組む山崎さんの奮闘ぶりを特集した。取材の際、彼のなまりが聞き取れなくて、一度テープに取ったものを青森県出身の人に、テープ起こしをしてもらった記憶がある。それほど田子弁と彼のキャラクターは切り離せない。当時の原稿は、彼の言葉を標準語に直したらキャラクターが見えなくなってしまうと考えて、方言のままで掲載した。
あの取材の時、山崎さんの運転する軽トラで十和田の奥入瀬渓谷を案内してもらったが、神々しい美しさは今でも忘れられない。
 せっかくのご案内ですから、山崎さんの住む田子町新田にご興味ある本誌読者の方々と一緒に訪ねたいと思います。参加ご希望の方は、編集部までご連絡ください。

■某月某日 奈良県桜井市で小規模多機能型居宅介護施設『より愛』を運営する田口アキ子さんを訪ねる。田口さんは、本誌読者の池端絹代さんにご紹介いただいた。田口さんは義父義母、そしてご主人を見送った後、自宅を改築して多機能型の施設を開いた。近所の認知症のお年寄りの介護も、身内同様に献身的にする人だった。彼女の話を聞いていると、人はここまで他人に優しくなれるのかと不思議なほどだった。
田口さんは施設を運営する傍ら、「菜の花プロジェクト」にも力を入れていた。このプロジェクトは耕作放棄地4000坪を借りて、菜の花を咲かせようというもので、菜の花からは菜種油を採取して、使用した廃油は回収してせっけんや代替燃料にする計画である。
「人間にとっては、黄色は癒やしの色なんです。放棄地が菜の花でいっぱいになれば、ここを通る人たちは元気づけられると思います」
このプロジェクトを推進するために、4月3日に加藤登紀子コンサートを企画した。田口さんは、行動力のかたまりのような人で、紹介もアポもなしに、いきなり東京の加藤さんの事務所を訪れて、マネジャーを説き伏せて、コンサートの日取りを決めてしまったという。田口さんご本人については、いつかクローズアップさせていただくことがあるかもしれませんが、とりあえずは奈良近辺の本誌の読者の方々は、お知り合いを誘って、桜井市民会館でのコンサートに足を運んでください。
・ 加藤登紀子コンサート問い合わせ先〒633-0048奈良県桜井市生田235
TEL0744・42・0080

■某月某日 東京・新橋のレストラン「ボワ・ヴェール」で開催された「つがるの里 東京サポーターズ倶楽部」に出席。この会は青森県つがる市で、都外施設である知的障がい者入所更正施設を運営する今秀則さん(本誌支局長)が、この施設を応援している東京在住の関係者の方々との懇談を目的に開催したもの。
都外施設とは、東京都が他県に設置している社会福祉施設で、その歴史は古く、明治33年に病弱児のための施設を千葉県館山市につくったのが始まりだという。東京都が他県にこのような施設をつくるようになったのは、都内では土地の高騰で用地の取得が困難になったためという。現在は北は青森県から西は岐阜県まで、16の県に10カ所の児童施設、43カ所の成人施設(更正施設)があるという。今さんは、自閉症の人たちを中心に預かっているというが、そのお世話は並大抵のものではないようだった。
しかし、都の緊縮財政のために年々予算が削られ、運営はますます厳しくなっているという。
「その上、法律がくるくると変わるのさ。政令、省令、通達、施行令などが変わるたんびに新しい法律に対応しなければならないので、それが大変なのさ」と、今さんはぼやいていた。
それでも地域づくりには熱心で、編集部にも地元の情報をFAXでよく送ってくれる。今や有名人になったリンゴ農家の木村秋則さん(本誌105号)を紹介してくれたのも今さんだった。
・ つがるの里 〒038-2817 青森県つがる市森田町床舞鶴喰120-3
TEL 0173・26・4555   FAX0173・26・4556


■某月某日 東京・霞ケ丘町の日本青年館で、劇団ふるさときゃらばんの新作『ホープ・ランド』を観劇。昨年6月に和歌山県田辺市の紀南文化会館で、「地震カミナリ火事オヤジ」を見た時、次回作の準備が進んでいると聞いていたので大いに期待していた。予想どおり、新作は前作に劣らぬユニークな舞台だった。このミュージカルは、地球温暖化による海面上昇で赤道直下の島・モルバルが海に沈んでしまった。その島から日本に逃れてきた人々が、過疎の限界集落に移住して、豊かな山里を取り戻していく物語だった。
温暖化現象や限界集落を活字で論じては何となく堅苦しくなるけれど、ミュージカルになると理屈ではなく、五感に訴えてくるために説得力が違う。演劇の力はすごいと、あらためて思った。このあと全国を巡演する予定ですので、ご当地に行った時は、ぜひご覧ください。
・劇団ふるさときゃらばん 〒184-8577東京都小金井市本町6-5-3 TEL042-381-6721 FAX042-383-8614 フリーダイヤル0120−057−761 http://www.furucara.com

●御礼 今号の取材では、奈良県下北山村の野崎和生支局長に大変お世話になった。三重県尾鷲市の世古明美さん(本文22ページ)、大阪府枚方市の「杉・五兵衛」の○島五兵衛さん(本文8ぺージ)の取材に際しては車で長距離を運転していただいただけでなく、カメラマンの仕事も頼んでしまった。その上、ご自宅に一泊、野崎さんの勤務先だった関西電力の奈良市の宿泊施設にも泊めていただいた。
野崎さんとは、富山県の立山山麓で開催された地域づくりフォーラム(富山県のコロンブス財団主催)の「夜なべ談議」で知り合った。古い話で何年前か忘れてしまったが、彼の終始変わらぬ友情に感謝している。併せて、尾鷲市には吉野町の芳谷久美子さん(本誌支局長)にもご同道いただき、おかげで楽しい道中になった。あらためて御礼を申し上げたい。

ブックガイド
『観光カリスマ100選』(市原実・著、発行・日本文芸社 定価:本体952円+税)
山梨県立大学教授の市原実さん(風林火山支局長)が、全国に観光カリスマを訪ね歩き、地域づくりの取り組みをヒアリングした本。
観光カリスマとは国交省が平成14年に制定したもので、地域づくりに著しく貢献した人を認証しているもの。
本誌読者でカリスマに選ばれた人も多く、その人たちから本誌も多くのことを学ばせていただいた。本書は市原さんが、現地に足を運んで一人ひとりに、地域づくりの哲学と、具体的な手法を聞いて回った力作である。多くの人に読んでもらいたいという著者の要望で価格も税込みで1000円に抑えたということですので、ぜひお読みください。
感謝しています。 前号で、本誌のスペース広告へのご協力いただけるサポーター会員のご案内をいたしましたところ、一回目は5人の方からご協力いただけることになりました。心より御礼を申し上げます。本誌は、全ページに広告が入ることを目標にしておりますので、何とぞご協力のほどお願い申し上げます。

127号「かがり火」日記

■某月某日 長野県野沢温泉村在住の本誌支局長・山咲一星さんから俳句同人誌『星嶺』の創刊号を送っていただく。創刊の辞に次の一文があった。

「乱世を思わせるこの時、新しい俳句集団『星嶺』を立ち上げます。《百人百様の情景主義》を掲げて、現代俳句の荒波に船出をします。俳句の好きな同志と、悔いの無い俳句人生を送るために・・・」。山咲さんの俳句にかける情熱がひしひしと伝わってくる。本誌も俳句をやるように誘われているのだが、頭の中が『かがり火』の原稿をどう書けばいいかでいっぱいで、俳句脳に切り替えられず、いまだ一句もできていない。「俳句は日本語の文芸です。特別な言の葉などありません。自分の思いを素直に詩にすることです」と励ましてくれるのだが・・。

それでも俳句を鑑賞するのは大好きで、創刊号にあった山咲さんの「篝火に蜩こゑを焦がしけり」「いわし雲影武者めきし古戦場」などに感じ入った。

俳句をやってみようと思う方、誰でも自由に入会・退会できて、入会費・会費など一切不要という山咲さんの指導を受けてみてはいかがでしょう。山咲さんの認めた秀句は本誌にも掲載させていただきます。

・連絡先〒385-2502 長野県下高井郡野沢温泉村麻釜 TEL0269・85・3134FAX0269・85・3135

 月刊で発行の予定という手作りの『星嶺』の創刊号。

■某月某日 北海道枝幸町の本誌支局長・藤尾俊郎さんから、平安時代の女性の準正装である“小袿(こうちぎ)”をまとった美女の写真が届く。この美人は、10月22日に開催された京都時代祭で、源氏物語千年紀に合わせて、紫式部に扮した藤尾さんの娘さんだ。彼女は、枝幸町の中学校を卒業すると“私は舞子さんになる”と自分で決めてさっさと京都に行ってしまったと聞いたことがある。今では、売れっ妓の祇園の芸妓“まめ菊”さんに成長した。

藤尾さんからは、「京都で『かがり火』の支局長会議をやってほしい。娘を連れて出席します」と言われているけれど、祇園の芸妓さんが、黒紋付にかつらで交流会に出てくれたらどんなにか座が盛り上がることだろう。これはぜひとも実現の方向で頑張らねば・・。

 京都の時代祭で紫式部に扮した藤尾まめ菊さん。

■某月某日 東京都江東区の清澄庭園・大正記念館で開催された「伝承話藝を聴く会」を鑑賞。今回で5回目になるこの会は本誌の中村裕明が中心になって開いているもので、出演者は落語は桂藤兵衛さんと柳亭小燕枝さん、講談は宝井琴柳さんの三人と決まっている。お三方とも渋味のある円熟の芸を聴かせてくれる。聴衆も笑いに来たというよりも、じっくり話を聴きに来たという年配者が多く、回を追うごとにいい雰囲気の会に育っている。今回は、小燕枝師匠の「寝床」、藤兵衛師匠の「死神」、琴柳先生は「赤穂義士伝 三村次郎左衛門」を堪能した。この会は、春と秋の年2回開催しているので、関心のある方は編集部の中村までご連絡いただければ開催のご案内を差し上げます。連絡先は奥付にあります。

 落語の柳亭小燕枝師匠。落語の桂藤兵衛師匠。 講談の宝井琴柳先生。


■某月某日 徳島県上勝町で開催された「日本で最も美しい村」連合の総会に出席。今年は新たに、北海道鶴居村、北海道京極町、山形県飯豊町、長野県中川村、長野県南木曾村、京都府伊根町、高知県馬路村の7町村の加盟が承認され、18町村となった。

連合の生みの親である、副会長の松尾雅彦さん(カルビー元社長、現相談役)が、「ツーリズムは21世紀最高の産業であり、日本の美しい村も都市からの観光客の集客に力を入れなければ生き残れない」と訴えていた。この松尾さんの想いが役場職員のみならず、一般の住民にどれだけ浸透していくかが、本当の“美しい村”になれるかどうかの鍵になるだろう。

「日本で最も美しい村」連合の総会であいさつする徳島県上勝町の笠松和市町長(法被を着て立っている人)。

■某月某日 愛媛県上島町の弓削島に兼頭一司さんを訪ねる(本誌29ページ)。総務省の「頑張る地方応援プログラム」に選定された「しまでカフェ」の立ち上げで忙しくしていた。このカフェは、彼が弓削島を地域社会モデルとして「希望の島」にするための最初の取り組みだ。家族で新住民となった兼頭さんに、島の住民も大いに期待しているようであった。地域を応援する最良の方法は現地を訪ねることである。本誌読者の皆さんも、ぜひ弓削島に遊びに行って、兼頭さんを励ましてやってください。

・連絡先 〒794-2501 愛媛県越智郡上島町弓削久司浦720TEL080-5130-8888 mail kaneto@mskj.or.jp

  家族で島に根を下ろした兼頭一司さんと奥さんの薫さん、長男の玄ちゃん。 

■某月某日 愛媛県伊方町で宇都宮正信さん(47)と兵頭武政さん(47)が営業する「佐田岬ウォーカーズ」で焼きそばをいただく。営業しているといっても、二人の店は、軽トラの荷台を改造して鉄板を乗せた改造車で、営業場所はスーパーストアや道の駅の駐車場など、毎日変わる。車には地元の食材50%以上を表示する緑ちょうちんが下がっていた。焼きそばの具は、豚バラ肉、キャベツ、モヤシ、青ネギ、玉ネギ、ニンジン、煮ヒジキ、ほかに青ノリの揚げ玉と自家製のショウガ漬けが入る。めんは和風だしと鶏ガラだしで味付けをし、ハチミツと黒砂糖をブレンドしたソースで仕上げる。こんな丁寧な作り方をする焼きそば屋さんはめったにない。味は高級料理店並みであった。

本誌が宇都宮さんと知り合ったのは平成8年、<新・浪漫亭> (本誌の元編集長の故鈴木繁夫さんが経営していた浪漫亭を再開させた地域交流居酒屋)オープンの際、株主になってくれたからである。新聞の記事を見て、趣旨に賛同したといって10株分(1株5万円)も出資してくれたのには驚いた。よほどのお金持ちかと思ったら、地元の商工会の職員だった。結果的に店が軌道に乗らず、出資者の期待を裏切ってしまってざんきに堪えないけれど、彼はその後商工会を辞め、次々と転職しているので、宇都宮さんには特に済まないと思っている。それでも、愛媛県に入る時は必ず寄ってほしいと言ってくれる優しい人だ。

改造した軽トラで焼きそばを焼く宇都宮正信さん( 右)と兵頭武政さん。

■某月某日 島根県安来市の取材の合間に「足立美術館」を見学。安来市の取材(本文18ページ)では、観光協会の野々村貴史さんに大変お世話になった。普段は観光スポットには寄らないけれど、横山大観の大作「紅葉」などがあるこの美術館には関心があったので、立ち寄らせていただいた。

大観に圧倒されたけれど、美術館の庭園もうわさに違わぬ素晴らしいものだった。美術館の駐車場に大型観光バスがずらっと並んでいるのも珍しい。河井寛次郎と北大路魯山人の陶芸も見応えがあった。

・「足立美術館」 〒692-0044

島根県安来市古川町320 TEL0854・28・7111 FAX0854・28・6733

 美術館の外の自然も借景となっている足立美術館の庭園。

■某月某日 東京・九段北にある「アルカディア市ケ谷」で開催された「ふるさと大使全国大会2008」に出席。現在、全国の自治体や商工会によって「ふるさと大使」が制度化されているところは300以上あり、約1万人が大使に任命されている。全国ふるさと大使連絡会議は相互の情報交流と連携のために13年前に結成された。今年の大会の目玉は、『ふるさと音頭』のお披露目(作詞・山口義夫 作曲・入舟敏男)。歌っているのは、はこだて観光大使と八王子観光大使の肩書を有する北島三郎さんの北島音楽事務所に所属する歌手の原田悠里さん。若柳流宗家公認「やなぎ会」の若柳夏さんの振り付けまで付いている。

 当日は、ふるさと大使の奥様たちの踊りの披露もあったが、行政などからの補助金は一切受けずに、ここまで熱くなってふるさとを応援する団体も珍しい。

・全国ふるさと大使連絡会議事務局〒343?0824埼玉県越谷市流通団地2-1-1埼玉県倉庫団地協同組合内 甲斐秀治(事務局長)

TEL:048-985-2165 FAX:048-985-2170

「ふるさと音頭」に合わせて踊る大使夫人たち。

■某月某日 愛知県豊田市足助町で開催された「第6回 全国まちづくり交流会in足助」に参加。シンポジウム「ダイヤモンドの原石をどう見つけるか」で壇上に並んだ司会者とパネラーの6人のうち4人までが本誌支局長だった。開会の冒頭、足助町の観光協会の会長で、観光カリスマでもある小澤庄一氏が、「トヨタからのお金を当てにしているまちづくりをやっていれば、自立して生きていけなくなる」と辛口のあいさつをしていたのが印象的だった。この会も第6回ともなれば、お互いに顔なじみができて、親近感は深まるもののマンネリ気味になる恐れもある。このことについても小澤さんは、「同窓会的ではない交流会を目指さなければいけない」と主催者と参加者にはっぱを掛けていた。地域づくりの大先輩の言うことは違う。

 「全国まちづくり交流会in足助」のシンポジウム。

■某月某日 「ちばコープ」の杉森一雄さんに誘われて、千葉県多古町次浦を訪ねる。この日は、地元の農家120人が運営する農事組合法人「多古町旬の味産直センター」が取引先の生協や学校給食の担当者、PTA、産直の会員を招いて1年に1回、感謝の気持ちを込めて消費者と交流を図るおまつりが開かれていた(参加費1000円)。産直センターのメンバーのうち9軒の農家と神社が縁側や庭先を開放して、自慢の料理を振る舞っていた。

例えば高橋まさこさん宅ではキノコ汁と田舎まんじゅうと麦とろ。藤崎和久さん宅では具だくさんのすいとんとマイタケの天ぷら。佐藤なかさん宅ではきんぴらや酢バス、浅漬け、小芋の煮っ転がし。佐藤久子さん宅では紫芋の羊羹とお抹茶。掘仁さん宅では「仁勇」の樽酒。平山正勝さんのところでは落花生の甘煮と甘酒。佐藤幸子さんのところは湯豆腐。神社では赤飯とおでんといった具合である。

 おかしいのは、参加者たちがコップ代わりに渡された竹筒を首からぶら下げて(竹筒にはタコ糸が通してある)、手には食器と箸を持って、町内を巡り歩いている光景だった。食器と箸は自分のものを持参しなければならないルールであった。初めにお酒の家から回って酔ってしまう人や、食べ過ぎて全部の家を回り切れなくて悔しがっている人や、“ああ苦しい”とつぶやきながら歩いている人もいて、集落には満ち足りた空気が漂っていた。このアイデアは地域づくりにも応用できそうだ。

  多古町の農家の庭先で、おいしいものを食べながら交流する生産者と消費者。

■某月某日 東京渋谷区の代官山ヒルサイドウエストで開催されたシンポジウム「130年目の日本奥地紀行 遙かなる道/イザベラ・バードを語る」に出席。これは、『かがり火』の創刊号から最新号まで126号すべてをそろえているという本誌にとっては大変ありがたい読者の矢口正武さん(造園デザイナー)が主催したもの。明治11年に来日したイギリスの女性旅行家バードが、当時の東北・北海道の旅で何を見たのか、何を見なかったのか、何を感じたのか、何を感じなかったのかを語る会だった。

基調講演は「東北学」を提唱した東北芸術工科大学大学院長の赤坂憲雄氏。赤坂さんは、「これからは、今までの観光ガイドブックを持って回る旅行に代わって、バードのような人が歩いた道をたどる旅が盛んになるだろう」と予測していたけれど、本誌も同感。このような旅が盛んになれば、地域づくりに新しい展望が開けよう。

 イザベラ・バードについて語る赤坂憲雄さん。

ギアリンクス 第9回 農場ツアーのご案内

本年1月におこなわれた「アルゼンチンの農場視察ツアー」には本誌も参加しましたが(123号)、2009年2月に第9回のツアーが実施されます。このツアーは、?ギアリンクス(代表取締役はサラダコスモの中田智洋社長)がツアーコンダクターとなって、アルゼンチンで経営する自社の大豆農場の視察や、現地の日系移住者との交流を目的に行われます。

 苦難を乗り越えて南米の大地に広大な農業を展開している移住者との交流は、旅行代理店の企画する観光旅行では体験できません。参加者同士の交流も深まるのも、このツアーの特長になっています。

募集人員 30名

旅行期間 2009年2月10日〜2月21日(成田空港集合・解散) 12日間

旅行費用 お一人 45万円(エコノミークラス、相部屋利用)

          ・ビジネスクラス利用やシングルユースは別途料金が必要となります。下記事務局にお問い合わせください。

旅程表   日本―米国―ブエノスアイレスーイグアス(パラグアイ)―イグアス(アルゼンチン)―ブエノスアイレスーパラデロ農場視察(アルゼンチン・メンドーサ)―チリ(サンティアゴ)―米国―日本

●2008年11月20日現在、飛行ルートが北米経由から成田―マレーシアー南アフリカーアルゼンチンに変更される可能性が出てきています。この場合は、チリ訪問がなくなりますので、あらかじめご了承願います。

お問い合わせ&お申し込み先 〒505-0051 岐阜県美濃加茂市加茂野鷹ノ巣343 桜井食品内 TEL 0574・55・0003 FAX0574・55・0036

  世界から観光客が集まるアルゼンチンの「イグアスの滝」。

          アルゼンチンの自社農場の前で説明する、中田智洋社長。

BOOK GUIDE

『木育の本』

「木育」(もくいく)とは聞き慣れない言葉ですが、平成16年に北海道と道民による「木育推進プロジェクトチーム」で検討されて、できた新しい言葉ということです。“木とふれあい、木に学び、木と生きる”ために、子どものころから木を身近に感じていくことで、人と、木や森とのかかわりを主体的に考える豊かな心をはぐくもうというメッセージが込められています。

著者の煙山さんは木育の普及活動を進めている木工デザイナーで、「木のタマゴ」などのヒット商品があります。共著の西川さんは北海道弟子屈町に住むノンフィクションライターで、『北の木仕事 20人の工房から』など、木に関する著書が多数あり、本誌の支局長でもあります。本書は、「子どものころから木に囲まれて」暮らすにはどんな方法があるかを具体的に解説しています。教育関係者には特にお勧めしたい一冊です。

本体1500円+税。

■著者/煙山泰子、西川栄明 発行/北海道新聞社 TEL 011・210・5742

『フランスの教育ファームに学ぶ』

本誌でおなじみのフランスのブルゴーニュに住む大島順子さん(ライター)が、海外のグリーン・ツーリズムに造詣が深い明治大学名誉教授の井上和衛さんと共著で出した本。日本でも最近は農業体験が盛んですが、フランスでは一歩先んじていて、子どもの体験学習にとどまらず、農業の国民的理解、農家等の所得向上、地域の活性化まで視野に入れた体系的な取り組みが進められています。本書は広く都市と農山漁村の共生と対流につながるヒントにあふれています。

定価2000円(本体1905円)。

■     著者/大島順子、井上和衛 発行/(財)都市農山漁村交流活性化機構

126号「かがり火」日記

■某月某日 JR中央本線の中津川駅前で京都支局長の大歳昌彦さん、熊本県菊池市のコッコファームの松岡義博社長、ご長男の義清取締役と合流して、サラダコスモを訪ねる。大歳さんが松岡社長に『かがり火』を勧めてくれたおかげで、ご購読いただいているが、サラダコスモの中田智洋社長と、伊那食品工業(かんてんぱぱ)の塚越寛会長の掲載された号を読んで、ぜひ会ってお話を伺いたいということになったらしい。

中田社長も塚越会長も快く承知してくれたので、本誌が案内役をかって出たというわけである。3人の経営者とも、地域を大切にし、地域と共に発展することを経営の基盤に置いている。むやみな拡大路線はとらず、社員を大切にして堅実な経営をしている。経営者同士の会話をそばで聞いていて、経団連の大企業のお偉方よりも、このような人たちの考え方が中央の経済政策に反映されれば、日本はもっと落ち着いた社会に向かうのではないかと考えた。コッコファームは卵、サラダコスモは野菜、伊那食品工業はかんてん、くしくも3社とも食品である。そのうちに、3社がコラボレートした何かが始まるかもしれない。この出会いの後、熊本に飛んで、コッコファームを取材した(本文13ページ)。

■某月某日 天龍村に関福盛・京子夫妻を訪ねる(本文4ページ)。これまで何度も通っているのに、集落の暮らしをきちんと聞く機会がなかった。福盛さんの子どものころ、道路が整備されてなく、集落の人たちはいちばん近くの阿南町の新野まで必需品を買いに行くにも、夜中の2時ごろにちょうちんを持って家を出なければならなかったという。明け方に新野に着いて、いろいろと用事を済ませて家に戻ると深夜で、ちょうちんは手放せなかったという。そんな地域だから、この集落にとっては株価の暴落もサブプライムもはるか彼方の下界の話である。いまの時代、こういう集落こそ大切にしなければならないと考えた。

■関島秀樹さんを東京・曙橋の「BACK IN TOWN」で取材(本文32ページ)。昔、テレビが普及し始めたころ全国の小学校では方言を追放し、標準語を話しましょうという運動が盛んに行われた。関島さんの歌を聞いていると、方言を復権させてもいいのではないかと思った。方言には標準語では決して表現できない微妙な味わいがある。もし、『生きたらよか』が標準語で歌われていたなら平板なものになっていただろう。

しかし、わが郷里の秋田弁でも大丈夫だろうか。

「それにしたって近頃やさしゅなったね  何か弱気に、なっとっとじゃ、なかつかい」を、 秋田弁にすると、

「へば、このごろやさしぐなったでねぇがぁ、何か気ぃ弱ぐなったんじゃあねぇがぁ」となる。これでは泥臭さでは勝っていても叙情性において熊本弁に完全に負けている。                             

■某月某日 大津市大石龍門の叶匠壽庵の「寿長生の郷」で開催された「チャーミング」の創立40周年記念式典に出席。チャーミングの甲斐智子さんは本誌94号でご紹介したが、大阪府守口市で美容室を経営している。彼女は筋湯温泉のある大分県九重町から集団就職で大阪に出て、住み込みで美容院で働く。“おしん”を思わせる苦労を重ねて、いまでは業界でも注目される美容室をつくり上げた。若いスタッフは全員、自宅で寝泊まりさせて教育し、学校に通わせて国家試験を取得させるやり方の大家族主義である。詳しくは繰り返さないけれど、合理的効率的よりも人間主義を貫いている。

甲斐さんは「叶匠壽庵」の創業者である故芝田清次氏との出会いによって、経営の何たるかを学んだ。清次氏との出会いで、計画していたロンドン留学を断念し、ためていたお金をすべて店の改装に投資して、初心に帰って美容室経営に取り組んだ。清次氏が亡くなってからも二代目の清邦氏との交流は続いている。

この日は、美容室の長年の顧客のために「寿長生の郷」(約6万坪の里山に叶匠寿庵の本社、工場と共に野花を植えた庭園がある)を借り切るという豪儀なものだった。前回、清邦氏への取材でここを訪れた際(本誌122号)は、庭園を散策する時間がなかったが、今回は郷の風景を満喫することができた。ウメモドキ、ワレモコウ、ハッカソウ、ツリブネソウ、キンミズヒキ、オミナエシ、オトコエシ、案内の方の説明を聞きながら花の名前を覚えるのは楽しい(すぐ忘れてしまうけれど)。

 開店以来、通い続けているというお客さんは「チャーミング」のいちばんの魅力は、誰とも平等に付き合う甲斐さんの人柄だと言っていた。

■某月某日 本誌122号で紹介した浜田きよ子さんの「おむつのファションショー」を品川区立総合区民会館「きゅりあん」で見学。おむつのファッションショーというのは非常に珍しい。モデルさん、といっても介護にかかわっている人たちがタイツの上から、おむつをして次々に登場する。実にデザインも機能も多種多様なものが開発されていることを知った。今や老人用のおむつはかなり進化していて、やせた人、太った人、お漏らしの量の多い人、ちょっとちびる程度の人、小のついでに大も漏らしてしまう人、寝たきりの人用など、実にさまざまなタイプのおむつが披露された。

ゲストスピーカーだった介護のベテランの羽成幸子さんが、人間は老後の生活を想像することはできるし、死んだ後の葬式の場面も想像できるが、介護が必要となってから死ぬまでの期間については想像できないと言っていた。認知症になって下の世話をされている自分を正確に想像できる人は、どのぐらいいるだろうか。いちばん感心したおむつは、男性の象徴を三角巾のようなおむつで包み込んでしまうデザインのものだった。以前、アマゾンかニューギニアの原住民の写真で見たことがあるPENIS SACKに似た発想である。ここまで開発されているのなら、安心して要介護老人になれそうな気がしたショーだった。

■某月某日 茨城県水戸市の青少年会館で「いばらき地域づくりの会」研修会でお話をさせていただく。参加者を見渡しても40代50代はいなさそうであった。社会は高齢化しているけれど、地域づくりに取り組んでいる人たちもかなり高齢化している。つまり、後継者がいない。最近はどこの地域づくり研修会に顔を出しても、敬老会の集まりと見間違うばかりである。何とか、若い人を引きずり込みたいと思っているのだが、いいアイデアがない。若い人が参加しているグループがあったら取材に行きますので、お教えいただきたい。それでも、「いばらき地域づくりの会」の皆さんは元気で、いろいろなハンディを克服して地域のために貢献しようとしていた。たとえ、集会への集まりが少なくとも、このエネルギーが継続することを祈るばかりである。

125号「かがり火」日記

■某月某日 静岡県浜松市引佐町の方広寺で開催された「めだかの学校」15周年記念の「めだかの学校大学院」に参加。約80人の参加者だった。15年前の発足といえば、当たり前のことだけれど、みんな今より15歳若かった。50歳だった人は65歳になり、45歳の人は60歳になった。「会場を見渡せば、どう考えても老人会の集まり」と言って、榊原幸雄事務局長がみんなを笑わせていた。

この交流会で特筆しておきたいのは、実行委員たちのお骨折りのことである。どこからも補助金が出ていないから、すべて会費で賄わなければいけない。そうなると参加費が高くなってしまうが、実行委員たちが知恵を絞って、参加費を1泊2食(交流会、夜なべ談議、宿泊費すべて込み)で1万円に抑えた。会場にお寺をお借りし、夕食を精進料理にしたのも工夫の一つ。会場費は安くなったけれど、その代わり朝6時からの座禅に参加しなければならない。これもかえって新鮮な体験になった。行政から助成を受けていないだけに気兼ねする相手はいなく、発言はおおらかで本音が飛び交う。夜の交流会は地酒や特産品の差し入れが豊富にあって、結構豪華なものになった。

基調講演をされた哲学者の内山節氏へは、お礼の代わりに柚餅子、治郎柿、干し柿、サツマイモなど、地元の名人たちの作る農産物が贈呈されたが、収穫時期でないため現物ではなく目録。1年がかりで講演謝礼を送るなんて「めだかの学校」のアイデアに脱帽した。

■某月某日 本誌117号で紹介した長野県伊那市の伊那食品工業株式会社の50周年記念ガーデンパーティーに出席。地元名士が胸にバラのリボンを付けて長々しくあいさつするなどのセレモニーは一切なし。招待客は12時半ころに集まって、自由に料理を堪能し、それぞれが適当な時間に勝手に引き揚げていただくというスタイル。社屋のある敷地内の庭のあちらこちらにパラソルとガーデンチェアが置かれ、テントではさまざまな料理を作っていた。料理はすべて社員がコックさんとなっての手作り、それがすばらしくおいしい。海鮮焼きそばを焼いている人やサイコロステーキを炙っている人の手さばきは器用なものだったし、おこわやタケノコ汁、各種の漬け物もうまかった。

「担当者によって味が微妙に変わってしまうんです」と笑っていたけれど、これはご愛嬌。アトラクションとして、社員たちのバンド演奏もあって、ちょっとした大学祭のノリでもあった。企業のパーティーといえば、ローストビーフや生ハムにメロン、刺し身の盛り合わせ、キャビアのカナッペなどが定番だけれど、地元の食材を使った心のこもった料理は、一流のホテルでもまねが出来ない。自社の業績を誇るというよりも、参加者に楽しんでもらいたいという気持ちが伝わってくる、気持ちのいい、しゃれたパーティーだった。

■某月某日 和歌山市で市野弘さん(花王勤務・本誌支局長)のご紹介で社会福祉法人「一麦会 麦の郷」を取材(本文7ページ)。その夜は、市野さん勤務の花王の「花王有田研修所」に泊めていただく。市野さんには本誌109号に寄稿いただいたが、勤務のかたわら「健康生きがいづくり一座」を結成し、県内の各地の施設を訪問している。この一座には素人ながら、腹話術、人形劇、南京玉すだれ、フラダンス、詩吟、三波春夫の『俵星玄蕃』などをまねる芸達者がそろっていて、座長の市野さんが、全員の出番を公平に割り振るのにいちばん神経を使うという。しかもこの一座、出演料も交通費も一切いただかない。衣装も小道具も音楽もすべて自前だから、県内のみならず、県外からの声も掛かる。

市野夫妻と一緒に泊まった「花王有田研修所」の食事は最高だった。何と、アワビの鉄板焼きが出たのである。やはり大企業はいいな。奥様の政子さんは文章が得意で、海外赴任の弘さんに同行した体験を書いた『上海庶民生活事情』(日中出版)という著書もある。ニフティサイトの「語ろ具」には、ハンドルネーム「まこちゃん」でコラムを書いているので、関心のある方は検索してみてください。

■某月某日 和歌山県田辺市で劇団ふるさときゃらばんの「地震カミナリ火事オヤジ」を観劇、その後本宮町に移動して開催された「日本の精神文化の原点の地・熊野でふるさときゃらばんの原点を語り合おう!ツアー」という長いタイトルのツアーに参加。

このツアーは、劇団ふるさときゃらばんの和歌山県応援団長で、田辺市観光協会会長、田辺市熊野コンベンションビューローの会長である多田稔子さんが企画したもの。ふるきゃらは、各地域の応援団が公演を主催するかたちをとっているユニークな劇団だが、それを支えているのは劇団にぞっこん惚れ込んでいる熱い人たち。このツアーには福岡、島根、高知、愛知、長野、大阪、東京などから約30名が参加した。

劇団側から参加していた作曲家で、ギターや笛など楽器ならば何でもこなす寺本建雄さんの「劇団は何よりもノリを大切にしている」という話が強く印象に残った。

実は今度の田辺訪問は多田さんを取材することが主目的だったが、お忙しくて時間が取れず、インタビューは次の機会となった。残念。

田辺市役所では敷地弘規さん(本誌支局長)と再会。もう何年前になるのか忘れたけれど、地域活性化センターの地域リーダー養成塾のシンポジウム以来だった。

「原稿も書かずに済みません」と恐縮していたけれど、本誌にとっては日本全国に満遍なく支局長がいることが何よりの心強さになっている。敷地さんには、本宮町の小淵宇津比古さんと内野久美さん(本文21・22ページ)を紹介していただいた。

■某月某日 東京・品川の三菱ビルにある「由庵」で開催された、サラダコスモの焼酎「ちこちこ」東京販売記念パーティーに出席。本誌でもご紹介してきたおなじみの焼酎だが、このたび「由庵」を経営する二期グループに認められ、グループのホテル、レストランで使ってもらえることになった。北山ひとみ代表取締役のアドバイスで、ボトルもしゃれたものに変わった。チコリ芋で造った焼酎は世界に例がなく、「ちこちこ」は正真正銘、世界初。もともとチコリはヨーロッパの野菜だから、将来は海外進出も夢ではありません。

■某月某日 「ビストロ・かがり火(旧・新・浪漫亭)」にて行われたヒヤ・小林さんの『一ノ矢 土俵に賭けた人生』出版記念パーティーに出席。小林さんが本誌110号に寄稿してくれたものがきっかけとなって、このほどダイヤモンド社から出版された。一ノ矢は初の国立大学出身(琉球大学)の力士として注目を浴びたが、何といっても歴代現役最高年齢力士として有名だった。最後の相撲となった昨年の11月場所は46歳11カ月だった。引退後は高砂部屋の庶務係のような仕事をしている。

この本は、一ノ矢が最高年齢の力士だったということだけでなく、職業選択のあり方を考えるにも読み応えのある本になっている。最高位が三段目で、ほとんどが序二段で相撲を取っていた。勝負の世界は厳しく、彼は常に大部屋暮らしで、個室で暮らしたことはない。彼を、自分の好きな職業を全うできた幸せな人間と見るか、もっと別な道もあっただろうにと、職業選択のミスと見るかは人それぞれだが、本誌は一ノ矢氏の生き方に共感を覚える。当日、一ノ矢氏ご本人は名古屋場所撤収の作業で出席されなかった。

■某月某日 静岡県磐田市の鈴木正士さん(本誌支局長)宅で、フランスから一時帰国中の服部麻子さん(本誌支局長)を囲んで、「かがり火支局長会議」開催。突然の帰国で、読者の皆様に事前に開催をご案内する時間がなかったことをおわび申し上げます。

服部さんは、現在唯一の海外支局長で、彼女の体当たり農業体験は本誌でたびたび紹介しているけれど(110号・112号・114号・116号・121号)、フランス農家の実情を聞くのは面白かった。服部さんが働いた農家はどこも広大な農地だったけれど、その収穫は季節労働者に頼っている。しかも、最近はモロッコ、スペインから安い農産物が入ってきて国内産がおびやかされているようだ。日本でありがたがっているボジョレーの醸造所の内情は、そこで働いた人でなければ話せない内容だった。

感心したのは、服部さんは尾張一宮の実家から一銭の仕送りももらわずにフランスで生活していることだ。極貧体験もしているらしいが、その代わり女性誌や旅行誌で紹介されるフランスとはまったく違う顔のフランスを観察することができている。8月下旬、彼女は再び渡仏して働く。今度はどんな面白いエピソードを寄稿してくれるか楽しみだ。

【お知らせ】かつて本誌に連載エッセーを寄稿いただいたカントリーウオーカーの山浦正昭さんが「青少年国際野外旅行研究会」を発足させた。この会は十代の少年たちの旅立ちを応援しようというものである。設立趣旨には次のような一文があった。

「今の若い人たちは、私たちの青春時代のように、旅に夢中になって、日本はもちろん世界各地へ、自分を試す旅へチャレンジすることは少なくなっているようです。旅は世界を広げてくれますし、夢をはぐくみ、多くの人との出会いによって、その後の人生を豊かにしてくれます。

 かつて私のように青春時代に旅に打ち込んだ人たちも、シニア世代になっていて、少しは次世代の若い人たちを応援してあげられるようになりました。そこで、私たちが個人的にできる範囲内で、少年たちの旅立ちを応援してあげ、冒険心、自立心を高める旅を通じて、もっと大きく、たくましく成長してくれることを願い、活動を立ち上げることにしました」

 以上の趣旨で、10月から2カ月に1回のペースで研究会を開催するとのことです。それに先立つ8月26日の午後2時からは、東洋大学白山キャンパスで記念シンポジウムが開催されます。ご関心のある方は左記にご連絡ください。

財団法人日本ユースホステル協会 〒101-0061 千代田区三崎町3-1-16 神田アメレックスビル9F TEL 03・3288・1417 FAX 03・3288・1248

124号「かがり火」日記

『かがり火』日記

某月某日 本誌のスタッフだった徳永哲也君の結婚披露宴に出席(式場は熊本城のすぐ隣の「KKRホテル熊本」)。古くからの読者の方ならば、本誌主催のフォーラムや交流会などでかいがいしく立ち働く彼の姿をご記憶の方も多いことと思う。明るい性格で、読者諸氏には“トクちゃん、トクちゃん”と好かれた。

十数年前にわが社を離れて独立し、広告とデザインの仕事を始めたが、今春、高校時代の親友から“仕事を手伝ってくれないか”と声が掛かって、東京の事務所を閉めて出身地の熊本市へ帰った。事務所の近くの居酒屋で知り合ったというIBM勤務のお嬢さんを射止めて、お嫁さんと一緒の帰郷であった。

披露宴でのクラスメートの熊本弁の祝辞は、心温まるものだった。ほんとに熊本はええとこたい。新しい職場は熊本地方卸売市場にある魚の仲卸商の上田商店。結婚式の翌日には朝4時に、ゴム長靴で出勤して働いていた。新シイ門出ニ際シ、幸多カレト祈ル。

熊本は、もともと本誌の読者の多い県だが、彼も情報を発信してくれるということなので、熊本方面の地域づくり情報は一層充実したものになるだろう。

某月某日 熊本市での結婚式に出席したついでに、熊本県芦北町まで足を延ばして本誌支局長の山口貴美代さんと再会。山口さんは、100号記念フォーラムに参加してくれたから、約4年ぶりだった。彼女は天草芦北フェリー株式会社に勤務していたのだが、赤字路線となって運航が中止になり、失業した。本誌とはちょうどそのころ知り合ったのだが、新しく職を探しても、小さな町のためにそうそう働き口がない。

結局、地元の建設会社に土木作業員として採用された。見えや外見にこだわらず、3Kといわれる男の職場に飛び込んだ山口さんの決断にさわやかさを感じたものだった。現場では、ハシゴから落ちたり、ハチに刺されたりと難儀な仕事のようだったが、コンパネを運ぶので体が丈夫になったようだ。いま、彼女と腕相撲をすればあっさり負かされてしまうだろう。

「早いもので土方歴10年になりました」と笑う山口さんだが、愚痴っぽいことは一言も漏らさず、楽天的に自分の運命を生きる彼女に敬服する。

                   ※

 その芦北町に、姫戸町の支局長の溝口秀士さんが移り住んだ。芦北町に二人の支局長がいることになった。溝口さんは、地区の交流拠点「古石交流館」の館長として採用されたのだ。この交流館は古石地区の住人で構成されている緑創会が運営しているもの。いままで溝口さんは、炭焼きを専門として、ドラム缶や一斗缶などで気軽に炭を焼くことができることを熊本県内で巡回指導してきた。環境保護関係のリーダーとしては、熊本県では、ちょっとした有名人である。有名人ではあるけれど、炭焼き教室などの謝礼はわずかなもので、収入は少なかったようだ。それでもお金には恬淡で、飄々とした自然体の生き方を本誌は尊敬している。宮澤賢治の詩に出てくる “慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシズカニワラッテヰル・・・アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニ”というのは、溝口さんのような人のことではないかと思っている。

館長に就任した溝口さんは古石地区から、ソバ打ち、コンニャク作り、コマ回し、わらじ作り、縄ない、ランプシェード作り(竹細工)など、32種類の名人を発掘して、体験メニューを提供している。

 廃校になった小学校を5000万円掛けて改装したという交流館は、宿泊室の畳も壁も新しく、芦北方面に出掛けたら、ぜひこちらに宿泊することをお勧めしたい。何しろ図書館には手塚治虫全集がそろっていた。

 溝口さんに昨年、幸せなことがあった。お嫁さんが来たのである。小学校の先生だが、現在の勤務地は与論島。年に何回も帰って来れない、織女と牽牛のような新婚生活を送っている。この二人の出会いと交流は、絶対、テレビドラマになると本誌は確信している。 

●古石交流館みどりの里 〒869-5575熊本県葦北郡芦北町古石391-2.  TEL&FAX0966・86・1835  Email: midorinosato@ashikita.com   

芦北町まで来たら、水俣市久木野の愛林館に寄らなければ失礼というものだ。水俣市といえば、かつては「水俣病」を連想させたが、近ごろは、地元学の吉本哲郎さんと共に、愛林館の沢畑亨さんが有名になった。

本誌支局長でもある沢畑さんは、棚田を整備し、水源の森の植林をし、地場産品の開発をし、地元の農家と共に「香り米」を栽培し、荒れた山の手入れを行い、コンサートやマラソン大会を企画するなど、久木野地区の核になっている。沢畑さんに集落を案内していただいたが、耕作放棄地に生えた草刈りは、やってもやっても追い付かないようだ。人手不足は、沢畑さんを慕ってやって来るボランティアの力を借りてやっている。

ここで耳寄りな話を紹介したい。愛林館のボランティアで知り合って結婚したケースが数組あるそうだ。自然を愛する伴侶を探している人は、愛林館の活動に参加してみてはいかがでしょうか。

■愛林館(水俣市久木野ふるさとセンター) 〒867-0281  熊本県水俣市久木野1071  TEL&FAX 0966・69・0485    休館日:毎週月曜日(祝日に当たるときは翌日)年末年始(12月28日〜1月4日)営業時間・・・売店9:00〜17:00  レストラン11:00〜15:00(レストランのみ土・日・祝日のみ営業)  

※その他都合により休業することがあります。

■某月某日 山梨県立大学の市原実教授(本誌支局長)のご紹介で、韮崎市のNPO法人「にらさき味噌汁学校」でお話をさせていただく。

味噌汁学校というのは、耕作放棄地に大豆を植え、収穫した大豆でみそを造り、そのみそでいろいろな種類のみそ汁を作り、そのみそ汁を飲んでもらうお店までつくって街の活性化を図ろうという、壮大な計画を描いている地域づくりグループである。

下の写真を見ていただきたい。昼間でもシャッターが下りていて、歩いている人がいない。これでも人口3万2000人の韮崎市のれっきとした中心市街地なのである。限界集落ならぬ限界商店街と呼びたいほどだ。果たして、みそ汁でどれだけにぎわいを取り戻せるかは分からないけれど、蟷螂の斧であろうがなかろうが、万分の一でも可能性のあるものにはチャレンジしようとする精神は偉大だと思う。

参加してくれた町の人たちが、商店街の元気だったころの話をしてくれたけれど、今となってしまえば、夢まぼろしのごとく聞こえる。

商店街の衰退は、自動車と大型小売店舗の発達による必然的な帰結のようにいわれているけれど、果たしてそうだったのだろうか。こうなる前に、何か手を打つことができなかったのだろうか。少なくとも、高速道路やダムにかけたお金とエネルギーの一部を商店街の活性化に回せば、こんなにはならなかったような気がする。今からでも間に合うのか、それとも手遅れなのか、複雑な感想を抱いて、韮崎の町を歩いた。

ちなみに、韮崎高校はサッカーの中田英寿選手の母校だということだった。

■某月某日 福島県矢祭町に、松下政経塾の塔村祐介、中西祐介、熊谷大、小原舞さんの4人を引率するかたちで訪問。矢祭町は新聞でいろいろ報道されている時だったから(本文37ページ)、「ちょっと取り込んでいるので遠慮したい」と断られてもおかしくはないけれど、快く受け入れていただいた。さすがに懐の広い町と感謝している。

「もったいない図書館」で、館長の佐川粂雄氏、教育長の高信由美子さんの説明を聞いた後、町の温泉と集会施設「ユーパル矢祭」の会議室で、根本前町長、古張現町長をはじめ、幹部職員全員と懇談できた。矢祭町を訪ねた4人は、松下政経塾を卒業すると、全員がそれぞれの出身地の市町村に帰って、将来は首長にチャレンジするのが夢という。若者たちが、故郷に帰って地域づくりをしたいというのは、国会議員を目指すことよりも健全なことのように思われた。

本誌としては、愛媛県の上島町に移住した兼頭一司さんも含めて(本文4ページ)、このような若者たちを応援したいと思っている。

■某月某日 大牟田市総合政策課の中村珠美さんよりメールあり。市が作成した『三池 終わらない炭鉱の物語』のDVD(定価は5040円)が完成したとのこと。

中村さんには、本誌99号に寄稿いただいた。その縁で、大牟田市の石炭科学産業館を見学に行き、産業館の大型スクリーンで、日本の近代化を支えた石炭産業の貴重な映像を見ることができた。「映像はもちろん、ナレーション、音楽を含め大変素晴らしいものになっています」とのことなので、関心のある方はお問い合わせください。●大牟田市役所〒836-8666 大牟田市有明町2丁目3番地 TEL0944・41・2501/FAX0944・41・2502 t-nakamura@city.omuta.lg.jp

第34回木曽音楽祭のお知らせ
2008年8月21日(木) 〜 24日(日)
●出演者
フルート:佐久間由美子/オーボエ:古部賢一・杉原由希子/クラリネット:山本正治・磯部周平/ファゴット:吉田 将・岡本正之/ホルン:松崎 裕・山本 眞/ヴァイオリン:久保陽子・加藤知子・漆原啓子・長原幸太/ヴィオラ:菅沼準二・市坪俊彦・村上淳一郎/チェロ:山崎伸子・花崎 薫・門脇大樹/コントラバス:星 秀樹/ピアノ:野島 稔・寺嶋陸也
●曲目予定
◆8月21日(木)午後7時 前夜祭 福島中学校体育館
名曲コンサート
◆8月22日(金)午後7時 フェスティヴァルコンサートI 木曽文化公園文化ホール
モーツァルト:管楽八重奏曲“魔笛”より
フォーレ:ピアノ四重奏曲 第2番 ト短調 
チャイコフスキー:弦楽六重奏曲 ニ短調 他
◆8月23日(土)午後5時 フェスティヴァルコンサートII 木曽文化公園文化ホール
ヒンデミット:5つの管楽器のための小室内音楽
スタンフォード:九重奏曲 ヘ長調 

モーツァルト:オーボエ四重奏曲 ヘ長調 
ブラームス:ピアノ四重奏曲 第3番 ハ短調 
◆8月24日(日)午後3時 フェスティヴァルコンサートIII 木曽文化公園文化ホール
オンスロー:七重奏曲 
ガーデ:弦楽八重奏曲 ヘ長調 
ベートーヴェン:七重奏曲 変ホ長調 
お問い合わせ
木曽町役場 教育委員会 大目富美雄
  〒397-8588 長野県木曽郡木曽町福島2326番地6

 TEL0264・23・2000 FAX0264・23・2004 (URL)http://www.town-kiso.com

(E-mail) fumio.oome@town-kiso.net

122号「かがり火」日記

某月某日 大阪府池田市の本誌読者、南部森雄・浩子さん宅に泊めていただく。浩子さんとは、平成10年、静岡県森町支局長の村松達雄さんが大阪事務所に赴任している時に紹介されて知り合いになった。それがご縁でお付き合いが始まり、本誌にも寄稿していただいた(76号「大阪・上町台地界隈を歴史の散歩道にするため奮戦する住職」)。

浩子さんは心の優しい人で、「大阪に出張の際は、いつでもうちに泊まってくださいね」と言ってくれるので、過日は図々しくお邪魔した。

ご主人の森雄さんはダイハツ工業(株)に勤務しているエンジニア。二人ともまだ30代だけれど、力を合わせて瀟洒な家を新築するという大事業を成し遂げた。本誌は、娘の嫁ぎ先を訪ねて、優しい婿さんからも歓待された気分だった。読者のお宅に泊めていただけるなんて、編集者冥利に尽きる。

森雄さんの車で、阪急電鉄や宝塚の創始者である故小林一三氏の自宅を改造した『逸翁美術館』、日清食品の故安藤百福さんのお屋敷や「インスタントラーメン発明記念館」、塩野義製薬の社長宅、桂三枝さんの邸宅などを案内していただいた。

某月某日 本誌読者の大阪市・澤田多喜子さんのお世話で、鹿児島県の加計呂間島や京都府京丹後市で開催した支局長会議にご参加いただいた読者の皆さんと再会、場所は大阪市のOMMビル21階の料亭「楽待庵」。メンバーは、澤田多喜子さん、木田珠子さん、遊佐昭子さん、辻尾俶秋さん。皆さん経営の一線で活躍し、大阪のど真ん中に住んでいる都会派だけれど、本誌が紹介する交通不便な田舎に愛情を持って関心を示してくれるのはありがたい。澤田さんは毎号、どの記事が良かったかなど感想をびっしり書いて送ってくれるので本誌の励みになっている。

今回は、澤田さんが、新風書房の福山琢磨氏(本文17ページ)を紹介してくれた。自分史づくりの創始者ともいえる人で、無名人の戦争体験記を20年以上も発行している方である。野にいる賢人とは、こういう人のことをいうのだろう。

某月某日 京都・大山崎町の「アサヒビール大山崎山荘美術館」で開催された「天空に糸を綴る・住田啓子ジュリアードレース」を見る。初日だったので、オープニングレセプションにも出席。住田さんとは古い付き合いだ。ジュリアードレースというのは、かぎ針で一目ずつ絹糸を編み、まるで糸でキャンバスに絵を描くように花や葉や幾何学模様を描き出す技法。宝石のように美しいということで、住田さん自身が名付けたものである。

作品は、小さなブローチからタペストリーや屏風のような大作まで約40点が展示されていたが、一本の糸が編み出す精緻で多様な世界に引き込まれた時間だった。

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某月某日 福島県郡山市役所政策企画課主催の「地域づくり人材養成講座」で講演。タイトルは、「魅力ある地域づくりの考え方と地域資源の再発見」。今回の講演では、ちょっとした工夫をした。ホワイトボードに小学校の教室にあるような大きな日本地図を張ってもらい、私が取材した町村を紹介していくたびに、地図の上にマグネットを置いて示すようにした。その土地がどこにあるのかひと目で分かるようにしたのだが、みるみる地図がマグネットでいっぱいになって、われながらよく全国を行脚したものだと感心する。話したいことがいっぱいあって、持ち時間が2時間半でも足りないぐらいだった。

 参加者のお顔を拝見すると、年配の方が多かった。こういう集まりに若者たちも参加してくれるように、本誌はもっと多角的に手を打たなければならないと痛感。ハナカツミの栽培をしている鈴木勇治さん(本文24ページ)とは、その講演会でお知り合いになって寄稿いただいたものです。

                  ※

 講演会には出られないけれど、ぜひお会いしたいと連絡があったのは郡山駅前の古着ショップ「古着屋サイモん」の宗形正子さん。訪ねると、店内は古着であふれていた。

「私は古着で地域づくりを考えているんです。今、日本では膨大な古着が捨てられ、焼却されているんです。まだまだ十分に着られるのに捨てるなんてもったいないし、環境にも悪い。古着のファッションショーなどのイベントをやって、地域の活性化に結び付けられないものかと考えているんです」と、熱く語ってくれた。

洋服を「タンスのこやし」ということがあるけれど、おそらく全国の家庭には膨大な数の着られない服が眠っていることだろう。“古着と地域づくりのコラボレーション”を行いたいという発想は、ほかの町ではやっていないだけにチャンスかもしれない。郡山を訪れる際には、寄ってみてください。

■「古着屋サイモん」福島県郡山市中町11の5 スクエアビル2F TEL024・922・1489

メール

某月某日 群馬県上野村の哲学者内山節さん宅で行われた恒例の餅つきに参加。氏の交友の広さを象徴するかのように、農業、林業、教師、大学生・高校生、ジャーナリスト、公務員、会社員などさまざまな人が参加していた。参加人数も多いけれど、つくのも76臼と半端じゃない。長野県上田市の支局長の水野俊哲さんや川上村の支局長の中嶋初女さんたちは前日から泊まりがけで、モチ米をとぎ、バケツの水に浸して準備する。76個のバケツが庭に並べられた風景は壮観です。一つのバケツがひと臼分で、お米は約3kg。

庭には六つの釜を炊き、一つの釜は二段重ね、常に12個の蒸籠でモチ米を蒸して、次々に効率良く回転させる。

臼は二つ用意されていて、一つの臼を3人でつく。大体6回ついて、合取り、それを6回から7回繰り返せば、つき上がる。朝の9時ころからスタートして、2時すぎまでかかるのである。

ここのお餅を食べた人は、スーパーで販売しているような機械でついた餅は食べられなくなるほどおいしい。餅も魅力だが、内山先生の話を聞くのが楽しみで、泊まりがけでやって来る人も多い。

今回は、向かいの家でシカの解体もあったから、そちらも見なければならなくて忙しかった。

某月某日 東京・浅草の「ホテルニュー魚眠荘」で開催された「関東十和ふるさと会・RIVER関東合同交流会」に参加。高知県四万十町の物産展と併せて開催された、四万十町のファンの集いだった。地場産品の開発や販路開拓に取り組んでいる「四万十ドラマ」の畦地履正さん(本誌119号で紹介)は、昨年7月に開業した道の駅「四万十とおわ」の運営も委託されているけれど、これが予想以上の好調だという報告があった。道の駅のある国道381号線は、1日に1500台ほどしか車が通らない三桁の国道、それなのにオープンの日は5000台の車が入ったという。本年の1月中には10万人の来場者がカウントできるということだった。

 地元の若者たちが必死で汗を流しているところには、必ず人は来てくれる。

「これからが勝負です。順調な滑り出しに浮かれることなく、気持ちを引き締めて頑張ります」と、畦地さんは決意を語っていた。

第5回 「木曽学シンポジウム」開催のお知らせ

テーマ「木曽の味」

テキスト ボックス:      かぶ漬け木曽には、そばをはじめ、すんき(漬物)五平餅かぶ漬けイワナなど、地域に根付いた多くの郷土食が存在します。今回のシンポジウムでは、いま一度これら木曽の味を見直すとともに、新たな地場産品の開発や販路、そしてそれらを生かしたまちづくりについて、みんなで考えてみようと思います。夜の交流会では、高知県馬路村のゆず関連商品と木曽の特産品のコラボレーションが実現します。お楽しみに!

1日目 2月23日( 土) 10時〜19時 講演会/パネルディスカッション/交流会

             場所:木曽福島会館

 ■講演会?加藤光一先生(信州大学農学部教授)

             演題「農山村再生の道をF(食)とC(ケア)から考える」

〜木曽町地域農家調査から見えてきたもの〜

■講演会?東谷望史氏(高知県馬路村農協組合長)

             演題「感動を贈る!産直ビジネス・馬路村からの発信」

■パネルデスカッション

コーディネーター:加藤光一先生(信州大学農学部教授)

パネリスト:  東谷望史氏(高知県馬路村農協組合長)

    小林史麿氏(産直市場グリーンファーム代表)

松井淳一氏(株式会社H・I・F専務)

西尾礼子氏(みたけグルメ工房組合代表)

■交流会(馬路村のゆず商品と木曽を代表する郷土食・地場産品を多数用意します)

テキスト ボックス:     馬路村のゆず2月24日(日)    9時〜12時30分 現地視察会 

みたけグルメ工房見学(木曽町三岳)& きそふくしまふ

るさと体験館見学

申し込み・問い合わせ:木曽町役場企画調整課内 木曽学研究所事務局(担当:大目、渡辺) 電 話:0264(22)4287(直通)  FAX:(24)3602

■「めだかの学校・15周年記念大会」のご案内

 静岡県の三遠南信地域を中心に活動している地域づくりグループ「めだかの学校」が15周年記念大会を開催します(本誌もメンバーになっています)。

日時は6月6日(金)7日(土曜)の二日間。詳細は次号に掲載いたしますが、地域づくりにかかわっている大勢の方々と知り合えるいい機会です。参加ご希望の方は、とりあえず、この両日を今から押さえておいていただきたくご案内申し上げます

121号「かがり火」日記

某月某日 水口正之さん(北海道滝川市・空知270万石支局長)上京、東京・品川駅前の「地鶏や」で飲む。水口さんの人脈は、官民問わず幅広く、本誌もうらやましいと思うほど全国的だ。特に北海道の情報を得たい時は、彼ほど頼りになる人はいない。ただ、水口さんはお会いするたびに若い女性を連れているので、不思議に思っていましたが、実は、その女性たちは留学生だったり、苦学生だったりで、水口さんが陰ながら、物心両面にわたって応援しているのでした。この日も、東京で勉強しているモンゴルの留学生たちを呼んで、たっぷり食事をごちそうしていたのでありました。

某月某日 長野県大鹿村で開催された「日本で最も美しい村」連合の総会に出席、その夜は支局長・伊東和美さんの農家民泊「たかやす」に泊まる。“何もありませんが、炭火が最高のごちそうです”というのは、伊東さんの口癖だけど、ここの囲炉裏端であぐらをかいて、火箸を握ると“帰って来た”という気持ちになる。取れたてのシイタケ、タマネギ、ナス、ピーマンと地元特産のお揚げとイワナと、何でも炭火で焼いてしまうのが“たかやす流”だが、新鮮なものばかりだから、甘みがあって最高の味だった。

この日は、大鹿村の読者の東村邦子さん(酒豪!?)に加えて、松川町で果樹園をやっている読者の森谷ひろ子さんも大きなナシを籠いっぱいに持って駆け付けてくれた。新たに北島村議会議員も読者になってくれて、大鹿の夜は温かかった。

某月某日 熊本市の居酒屋「角松」で、支局長の福本建明さん、ゴーヤー洋子さん、高木正三さん、藤本浩二さんたちと再会を祝して乾杯。話したいことがたくさんある人たちと久しぶりに会うとかえって何も話せず、ただ笑ったり飲んだりしてしまうものらしい。この夜も何を話したかは覚えていないけれど、生き方のどこかに同じ音階が流れているのを感じた。

翌日、今度の九州取材に同行してくれた佐賀県・小城べんざい支局長の眞子雅允さんの案内で熊本城を見学。何度も熊本には来ているけれど、お城に入ったのは初めてだった。修学旅行の女子高校生の嬌声に包まれながら、復元なった天守閣に登った。

某月某日 熊本県小国町で杉森直美さんに、日本一不便なカレー屋さん「BEAR」に案内していただく。直美さんは江藤訓重さん(財団法人学びやの里理事長・木魂館の元館長)の夫人。グリーンツーリズム研究のためにフランスに留学したほどだから、九州一円の農家民泊については詳しい。彼女が案内してくれた「BEAR」は、幹線道路から4kmも山に入った一軒家。福岡市から移住してきた宇田譲治さんが経営する店だった。一見、野中の一軒家で、付近に競合する店はないから、かえって珍しくお客さんがやって来るものらしい。もちろん、本物の手作りのカレーもうまかった。

某月某日 長野県阿智村横川で『かがり火』交流会を開催( 本文12ページ)。横川郷はいわゆる限界集落だけれど、それだけに本来の山村の魅力が残っている。“日本秘湯を守る会”というのがあったと思うけれど、“日本限界集落を守る会”というものを結成して、応援団となって、励ましながら泊まり歩くというのはどうだろうか。

 『かがり火』の交流会は、ホテルでやるよりも、やはり畳に座ってやるのが似合っている。初対面同士でも、こちらのほうが話が弾むし、親しくなれるようだ。同じ顔触れでひとしきり話をした後で、グラスを持って、次のグループに割って入って行くというスタイルは、世界に誇れる日本のコミュニケーション文化ではないだろうか。

某月某日 東京・新宿パークタワーで開催された「SLOW展」に出席。イタリアの地方の首長さんたちが、田舎の魅力をアピールしようと大挙して来日したものだ。この首長さんたちは、I Borghi piu belli dItalia(イタリアの最も美しい町連合)に参加している人たちで、「日本で最も美しい村」連合と同じように、「フランスの最も美しい村」と連携している組織である。今回は、イタリアの田舎の物産と観光PRに来日した。ローマやベニスやナポリなどの有名観光地にはない、ひなびた田舎の料理と人情を知ってもらいたいということらしかった。各国の田舎の首長さんたちが過疎や格差について話し合う国際会議を開いたら、国連なんかよりも価値ある議論ができるかもしれない。

それにしても、 チョイワルおやじではないけれど、どうしてイタリアの首長さんたちは、カッコイイんだろう。

某月某日 東京・平河町の町村会館で開催された「第10回 小さくても輝く自治体フォーラム」に出席。基調講演は内山節氏。地方の価値を語る時、国土の保全に大切なことや食糧生産基地の役割を担っていることを持ち出しても、市場主義万能を唱える識者を論破することはできないから、魂の帰る場所は地方にしかないということを主張したらどうだろうかというユニークな提言。

 フォーラムの後の懇親会では、長野県栄村の高橋彦芳村長、新潟県関川村の佐藤忠良助役、福島県矢祭町の高信栄一・由美子夫妻、岐阜県白川村の谷口尚村長、松下政経塾の石井さんや兼頭さん、黄川田さん、泰阜村の松島貞治村長、阿智村の岡庭一雄村長、高畠町の武田正徳議長など旧知の方々にお会いできて、楽しい一時を過ごすことができた。

某月某日 東京・虎ノ門の笹川記念財団で開催された「構想日本」主催のフォーラム「歴史遺産に学ぶ」に出席。パネラーに、本誌読者の島根県大森町の松場登美さん(石見銀山生活文化研究所 所長)と愛媛県内子町の岡田文淑さん(内子町八日市護国町並み保存センター 前所長)の名前があったので、本誌の締め切り間際だったけれども駆け付けた。この日は他に、小林俊彦さん(妻籠を愛する会 理事長)と杉山峰夫さん(越中八尾観光協会 副会長/おわら保存会 副会長)がゲスト。

 4人に共通するのは、観光客が多過ぎて困っているということだった。訪れる人の数をどのように制限すればいいのか悩んでいた。過疎に悩む地域にとってはぜいたくに聞こえるかもしれないが、一日中、家の前をぞろぞろ歩かれ、心ない観光客に空き缶を捨てられれば、かなりなストレスがたまるものらしい。町並み保存に成功したのはいいが、雑踏と渋滞をつくり出したことにもなると、心中は複雑なものがあるらしい。日本人は、話題になった土地にはウンカのごとく押し寄せせるという習性は直らないものらしい。

某月某日 少し前のことになるけれど、大歳昌彦さん(京都支局長)から心に残るメールをいただいた。ライブハウスで聞いた歌が感動的だったというので、その歌詞を送ってくれた。私はまだその歌を聞いたことはないけれど、歌詞を読んだだけで、ウルウルとなってしまった。大歳さんは目の付けどころが鋭く、目配りが抜群の人で、お寄せいただく情報には、いつも脱帽する。大歳さんは、作者の了解をとってあるというので、ご紹介したい。

「帰らんちゃよか」という歌で、関島秀樹さんの作詞、作曲で、昨年亡くなった、ばってん荒川さんが歌っていた。今は関島さんご本人が歌っているという。

  そらぁときどきゃ俺たちも
  淋しか夜ば過ごすこつも、あるばってん
  二人きりの暮らしも長ごうなって
  これがあたりまえのごつ思うよ
  どこかの誰かれが結婚したとか
  かわいか孫のできたて、聞くとも、もうなれた
  ぜいたくば、言うたら、きりんなか
  元気でおるだけ幸せと思わんなら
  それでどうかいうまく、いきよっとかい
  自分のやりたかことば、少しは、しよっとかい
  心配せんでよか心配せんでよか
  けっこう二人でけんかば、しながら
  暮しとるけん
  帰らんちゃよか帰らんちゃよか
  母さんもおまえのことは、わかっとるけん

  そらぁ、ときどきゃ、帰ってきたり
  ちょこちょこ電話ば、かけて、くるっとは
  うれしかよ
  それにしたって近頃やさしゅなったね
  何か弱気に、なっとっとじゃ、なかつかい
  田舎があるけん、だめなら戻るけん
  逃げ道に、しとるだけなら悲しかよ
  親のためとか年のせいとか
  そぎゃんことば、言訳にすんなよ
  それでどうかい都会は楽しかかい
  今ごろ後悔しとっとじゃ、なかっかい
  心配せんでよか心配せんでよか
  父ちゃんたちゃ、二人でなんとか暮してゆけるけん
  帰らんちゃよか帰らんちゃよか

  今度みかんば、いっぱい送るけん
  心配せんでよか心配せんでよか
  親のために、お前の生き方かえんでよか
  どうせおれたちゃ先に行くとやけん
  お前は思ったとおりに生きたらよか

 若者の将来の夢を聞きながら、お酒を飲むのは楽しい。写真右奥が、留学生たちに慕われている水口正之さん。

囲炉裏を囲んで、みんなが同じ火を見つめると不思議な共通認識が生まれるようだ。大鹿村の「たかやす」にて。  

馬刺し・からしレンコン・川ノリなど熊本の郷土料理がうまくて安い店「角松」で交流会。

九州の取材でお世話になった眞子雅允支局長(左)と熊本城を背景に記念写真。

「BEAR」に案内してくれた杉森直美さんと直太郎君。

山の中でカレー屋を始めた宇田譲治さん。

阿智村横川郷での『かがり火』交流会。電車の時間を気にしないで、飲めるということは本当に開放感を味わえるものだ。

「SLOW展」のために来日したイタリアの首長さんたち。イタリア語ができたら、

過疎と高齢化について議論したかったのだが、ザンネン!

「小さくても輝く自治体フォーラム」での内山節氏の基調講演。

「構想日本」主催のフォーラム。写真左から岡田文淑さん、小林俊彦さん、杉山峰夫さん、松葉登美さん。

◆120号「かがり火」日記◆

■某月某日 
青森県南部町の椛沢和子さんの果樹畑(本文28ページ)を訪ねる。夜は、和子さんの友人が経営している農家リゾート「ココサコージャ」に宿泊。

「ココサコージャ」は“こっちにいらっしゃいませんか”という南部弁で、昭和52年に、画家で陶芸家の故砂場大作さんが、南部名久井焼・見学院窯の本拠として開いたものである。広大な敷地の中には窯と工房、展示室以外に、母屋、宿泊棟、茶室、岩風呂などが点在していて、砂場さんの作品は、屋内には絵が、庭には焼き物の作品が飾られている。まるで美術館に宿泊したような気分を味わえる宿だ。誠に残念だが、砂場氏は先年他界し、現在は名久井焼のほうは、大門さん、心道さんの二人のご子息が後を継ぎ、施設のほうは、夫人の砂場賀子(すなばよしこ)さんが切り盛りしている。リンゴ畑とサクランボ畑に囲まれた静かな施設で、箱根や軽井沢あたりにあるペンションにも負けないほどおしゃれでぜいたくな建物だった。誰にも教えたくない気もするけれど、本誌読者だけにはやはりそっと教えたい。一度は泊まってみたい宿デス。
●ココサコージャ 
〒039-0503 青森県三戸郡南部町大字平字前ノ沢59 
TEL&FAX0178・76・2249  

                 

■某月某日 
長野県中軽井沢町の星野リゾート内のホテル・ブレストンで開催されたトップフォーラムに参加。このフォーラムはNPO法人「日本で最も美しい村」連合の理事を務めている革新企業研究所の加藤俊宣さんが主宰している経営セミナーで、日本を代表する30社の社長さんたちが参加している。この日のセミナーのゲストは日本IBM(株)の大歳卓麻社長だった。

この席でカルビー(株)の松尾雅彦相談役が、下記のようなメッセージを社長さんたちに配布してくれた。

「拝啓 残暑厳しい毎日です。いかがお過ごしでしょうか。唐突ですが、機関誌『かがり火』をお送りいたします。119号は、当NPO連合についての記事が巻頭を飾っています。貴社(貴台)には、当NPOにご参加いただいておりますが、さしたるサービスも出来ずにおり、誠に心苦しく思っておりますが、少しずつではありますが、所期の目的に向けて活動がようやく動き始めてきたように思います。(中略)

『かがり火』を送付いたしました趣意は、副会長をお願いしています塚越様(伊那食品工業株式会社会長)のお薦めもありまして、美しい地域づくり活動の全国的な情報発信をしている発行人の菅原歓一さんを援助しようと云うことでもあります。もし、彼の努力を応援したいということがございましたら、巻末に定期購読申込のハガキがついていますのでご利用下さい。暑さ寒さも彼岸まで、しばらくは厳しい暑さが続きましょう。どうかご自愛の程、心からお祈り申し上げます。敬具」

 セミナーに参加している社長さんたちは「日本で最も美しい村」のサポーターでもあるが、その社長さんたちに『かがり火』を宣伝してくれた松尾相談役のやさしさに頭が下がる。数日後、編集部にはカルビーの支社や営業所から購読はがきが続々と届いた。おそらく松尾さんの職権乱用(!?)と推察できるところですが、ご支援に深く感謝申し上げます。

■某月某日 
長野県上田市に水野俊哲さん(本誌支局長)を訪ねる。水野さんは、別荘の樹木や街路樹などの伐採を個人で引き受けている。その傍ら、菅平高原に山林を購入して、山の整備と自然葬を組み合わせた環境保護に取り組んでいる。しかし、自然葬については、なかなか地元の理解は得られず、進捗していないようだ。墓所の購入はほとんど不可能な小生としては、将来は自然葬をお願いするつもりもあって、その山を見学させてもらった。水野さんは、暇があれば山に入っているのだろう、良く手入れが行き届いていた。「千の風になって」が似合う風景である。とりあえず仮予約しておこう。

 水野さんが、どんな仕事をしているのか実演してくれたのが左の写真。高い樹木の枝葉を伐採する時、大型のクレーン車を持っていない水野さんは、代わりにレンジャー部隊の精鋭のような特殊な技術で木に登る。

まず、子どものころ遊んだパチンコの親玉のようなY字形のものを地面に突き立てる。散弾銃の弾がお手玉のような袋の中に入っているものをその大型パチンコで空中に打ち上げると、袋には細いひもが付いていて、スルスルと伸びていき、高い木の枝に引っかかった。そのひもがしっかり枝に掛かっているのを確認すると、道糸の役目をしたその細い素ひもを太いロープにつなぎ直す。次にアルピニストが身に着けるような装具を体に巻き付けて、2本のロープを足と手で操りながら、するすると登っていった。まるで猿飛佐助か忍者ハットリ君だ。彼は3種類の方法で樹木に登ってみせてくれた。

 水野さんは大学は工学部、神戸製鋼所に就職したのだが、サラリーマンは自分に向かないとさっさと退職、森林組合に転職した。生活の安定よりも自分の気持ちに従った生き方を選択したわけである。

水野さんと山を歩いていると知らない木や花はないから、まるで植物図鑑を持ち歩いているようなものである。ちなみに水野さんは、高校・大学と山岳部で、大学時代はヒマラヤにも遠征しているベテランである。

■某月某日 
新潟県魚沼市の永林寺で開催された「永林寺友の会」に参加。本誌支局長を引き受けていただいている佐藤憲雄氏が永林寺のご住職になってから40周年、「友の会」が発足してから23周年の記念の集まりだった。

「友の会」というのは、永林寺が日本育英会の指定宿舎第一号として全国から大学生を引き受けたのだが、この寺に宿泊してお世話になった大学生たちが、社会人になってから結成した親睦団体である。若き日を語りながら、お互いの情報交換をする会だが、一宿一飯の仁義を忘れずに、旧交を温めに集うのである。本誌は、永林寺に泊まったことはないけれど、佐藤ご住職とは、元<浪漫亭>の主人で、本誌の編集長だった故鈴木繁夫さんの縁で知り合った。紅顔の美少年たちもほとんどが還暦を過ぎ、髪の薄い人が多いのだが、かつての恩を忘れずに一年に一回、集まるというのはいいものだ。

 佐藤住職は、本来は曹洞宗なのだが、ニコニコ宗と皆の宗の双本山を名乗っているユーモアの持ち主で、笑いが絶えない講話は人気の的である。

●坂口和彦・著 

『農業立市宣言―平成の市町村合併を生き抜く!』

長年、農業・農政の専門職として県行政に携わってきた著者は、本誌「江戸前富津」支局長。今回の平成の大合併で誕生した、農村部を広く抱える合併自治体にとって「最も自信のある農業(広くは第一次産業)で生き抜くことが光輝く道」という立場から、新しい市・町に必要なオリジナル農政の提案などが幅広い視点でつづられている。本体2000円+税。

■昭和堂・発行 [問]TEL075・706・8818
●堀 繁/木田 悟/薄井充裕・編

 『スポーツで地域をつくる』

 編者代表でシンクタンク研究員の木田氏は本誌「新宿」支局長。「スポーツによるまちづくりとはどのようなことなのか」「なぜ、スポーツによるまちづくりが重要なのか」について、広範な角度から取り上げられており、今後のわが国のまちづくり・地域づくりのキーワードとしての“スポーツ”を理解する上で、格好の書になっている。 本体2800円+税。

■東京大学出版会・発行 [問]TEL03・3811・8814
●石井とおる?著
『未来の森』

 瀬戸内海に浮かぶ香川県の豊島(てしま)は、1990年に摘発された、わが国最大の有害産業廃棄物の不法投棄事件、いわゆる“豊島事件”の舞台となった島である。業者に対する適切な指導・監督を怠った県の誤りと怠慢への長きにわたる住民の闘いの経過や、県議会議員時代の活動を通しての、地方自治への著者の熱い思いが描かれている。本体830円+税。

■農事組合法人てしまむら・発行 [問]http://www.teshimamura.jp
●大橋慶三郎/岡橋清元・共著

『作業道づくり』

 これからの林業経営に、作業道は欠かすことができない。作業道づくりの第一人者・大橋氏と、奈良県川上村で代々山林を経営する岡橋氏の共著である本書は、岡橋氏の経営林

に実際に作業道を開設し、そのプロセスを豊富な写真を交えて公開した実践的な解説書であり、実務者必携の一冊といえる。本体2500円+税。

■全国林業改良普及協会・発行 [問]TEL03・3583・8461
「あまりお客さんが来てくれないほうが助かるわ」と商売気のない砂場賀子さん。
芸術家が建てたアート感覚のログハウス。館内にも邸内にも素晴らしい作品が展示されている。校庭の樹木伐採などを引き受けると、先生も生徒も授業そっちのけで、見物してくれるという。ロープを足に巻き付けて、自分の体重を利用してするすると登っていく。この登り方を発明した人は天才だ。
大型パチンコはアメリカ製、腰に巻き付けた装具はイギリス製。学生時代は山岳部のせいか身のこなしが軽い。
永林寺の佐藤住職を慕って、毎年、全国から昔の美少年・美少女たちが集まって来る。夜は大湯温泉に移動して大宴会。

◆119号「かがり火」日記◆

■某月某日 高知県馬路村で開催された「第5回全国まちづくり交流会」に参加。北は北海道から南は与論島まで、約100名の参加者があった。参加者の声を聞くと、開催地が“ウマジムラ”と聞いただけで、参加を決めたという人が多かった。ユニークな山村が注目される時代なのだ。

馬路村は訪ねるたびに感心することだが(何度も報告済みだが)、お客さんをもてなすチームワークが素晴らしい。夜の交流会で供された天然のウナギ、アユ、藁焼きカツオのたたきなど、どれも美味だったが、それ以上に農協と行政、婦人部などが心を一つにして歓待してくれるのは最高のごちそうだ。テントの中で、若者たちとおばさんたちが大汗をかきながら、天ぷらを揚げたり、焼き鳥やアユを焼いている光景に感動する。

この会は、来賓あいさつという型通りのセレモニーがなく、いきなり本題に入るのが気持ちがいい(国の補助金をもらってしまえば、お役人の退屈なあいさつを聞かねばならなくなる)。

今回のメーンゲストは、旧双海町で“夕日の立ち止まる町”の名コピーでまちづくりを推進してきた若松進一さん。役場を退職されたが、ユーモアたっぷりの講演に磨きがかかって会場を笑わせた。

鳥取県東伯町の農協に勤務していた四門隆さんは、北条町と大栄町が合併してできた北栄町の青山剛昌ふるさと館の館長に就任していたし、東伯町役場の福本まり子さんは、赤碕町と東伯町が合併してできた琴浦町に勤務していた。懐かしい方々と再会できたけれど、市町村合併で、こっちの頭は混乱するばかりだった。

■某月某日 東京・高田馬場駅近くの「ふるきゃら倶楽部」の定例会に参加。ゲストが旧知の長野県飯田市の牧野光朗市長だったこともあって駆け付けた。早いもので牧野市長も、来年は改選期である。本誌を支援してくれる牧野さんには、ぜひ2期目も活躍してほしいと願っている。飯田市は比較的地域資源に恵まれ、話題性の多い町だが、それでも人口は減っているという。

「いかに産業を興し、雇用を拡大し、若者を定着させるかが私の最大の仕事です」ということだった。

■某月某日 東京・神田の損保会館で開催された「ふるさと納税」のセミナーに参加(自治創造コンソーシアム、全国ふるさと大使連絡会議の共催)。パネリストは、根本良一前矢祭町長、西川一誠福井県知事、神野直彦東京大学教授、新藤宗幸千葉大学教授。神野氏は、「ふるさと納税は税制の根幹を揺るがすものであり、地方分権の本質とも懸け離れたもの」という意見。西川知事は、「本質的改革ができない段階では、不完全であっても、できるところから着手すべき」という意見。根本前町長は、「少子化のために出産や育児、教育にお金も掛けているのに、成人して東京の大学に入った子どもは町に戻ってこない。それまで掛けたお金の一部は戻してもらいたいという気持ちになる」と発言。

このテーマについては、もっと掘り下げた後で、本誌でも取り上げてみたい。

■某月某日 岡山市出石町に、支局長の清水則行さんを訪ねる(本文20ページ)。清水さんとは、本誌が昨年、岡山県主宰のももたろう塾の講師に招かれたのがきっかけで知り合った。その夜は清水邸に、同じ塾で一緒だった藪本道明さん、カキ入りお好み焼きでまちおこしをしている岡山県庁の江端恭臣さん(116号で紹介)、NPO法人まちづくり推進機構岡山の阿部典子さんが集まってホームパーティーを開いてくれた。奥様のひろみさんの料理はおいしく、すっかりご厄介になってしまった。清水夫妻はどちらも大阪出身だが、定年直前に岡山市に転勤、歴史の感じられる町がひと目で気に入ってしまって、岡山市に移住した。「まちづくりに取り組んでいる若い人たちのために、定年後のおじさんの役割として、“時間とお金”を提供したい」という清水さんの考え方に頭が下がる。3階建ての清水邸の屋上からは岡山城の天守閣や後楽園、旭川が眺望でき、居住環境は抜群だった。

■某月某日 益田ドライビングスクールを取材のため、益田市を訪問(本文17ページ)。取材前夜、本誌支局長で市役所勤務の川原敏之さんの声掛けで、居酒屋「いろはにほへと」で交流会開催。市役所の平原祐一さん、本誌116号でご紹介した赤雁の里の渡辺哲朗さん、島根県益田事務所の青山静佳さんと金子愛さん、益田東中学の大畑伸幸副校長、はるばる吉賀町(旧六日市町)から吉中力支局長が泊まりがけで駆け付けてくれた。話題の中心は、埼玉県行田市出身で島根大学を卒業後、県の嘱託になった金子さん。職種は何と、クマの駆除。何頭まで駆除していいのか、イノシシのわなにクマが掛かった場合はどうするか、吹き矢で眠らせる方法に危険はないのかなど質問が集中。埼玉に帰る気はないという金子さんだったが、こういう頼もしい女性が増えてくれれば、少しは過疎化に歯止めがかかるかもしれない。

■某月某日 島根県大田市大森町に松葉登美さんを訪ねる(116号で紹介)。石見銀山はようやく世界遺産に登録されたが、松葉さんや地元の心ある人たちは手放しで喜んでいるわけではなかった。むしろ大量の観光客が押し寄せて、騒々しい町になってしまうことに危惧を抱いていた。本誌がお邪魔した日は、地元の女性グループが世界遺産では先輩格の岐阜県白川村に視察に行った時の報告会が開かれていた。デジカメで撮影してきた写真をスクリーンに写し、急激な観光客の増加がいかに村の景観を変えたかについて話し合っていた。そして、自分たちは同じ轍を踏まないことを確認していた。石見銀山の歴史と文化を愛する人には来てほしいが、人の家の庭から花を折り、空き缶をポイ捨てするような無責任な観光客には来てほしくない。世界遺産登録はうれしいけれど、悩ましくもある。

明治〜昭和の小説家・随筆家の内田百?先生は、“世の中に客の来るこそうれしけれ とはいうもののおまえではなし”という張り紙を玄関先に出していたというけれど、大森町の住民も同じ心境のようだった。

その夜は、古民家の「阿部家」に泊めていただく。座敷も蔵も、そしてくど(かまど)も豪壮なもので、特に、ろうそくの明かりで入ったお風呂は、どんなリゾートホテルよりもぜいたくな気分を味わうことができた。
◆115号「かがり火」日記◆

『かがり火』日記

■某月某日 

  青森県大鰐町の支局長・相馬康穫さんが「津軽路ビール」のPRと即売を東京・飯田橋のアンテナショップ「あおもり北彩館」で開催。激励のため訪問。

 酒屋さんはディスカウントショップの登場で、厳しい経営を迫られているが、何とこの地ビールは、相馬さん個人経営の「そうま屋米酒店」で製造、販売しているものだ。

「秘密を明かせば、製造は宮城県のあるビール工場のOEM(委託生産)なんです。ただし、水は大鰐町の名水を運び込んでいるし、発酵過程なども、綿密な打ち合わせをして、オリジナルな味わいを出しています。ドイツのピルスナータイプの、キレのある辛口の『津軽路ビール』を、ぜひ飲んでみてください。個人で、地ビールを販売しているのは全国でもうちだけでしょう」と胸を張る。

一時の地ビールブームも去って、多くの会社が撤退した。しかし、相馬さんが、独力で黙々と地ビールをアピールしているのには理由がある。

大鰐町はバブル崩壊で、リゾート進出企業が破綻して、大きな痛手を受けた。相馬さんの地ビールは、新しい特産品を開発して、大鰐町の存在をアピールするための地域づくり商品でもあるのだ。

年間に330 mlの小瓶を約2万本販売しているだけだから、居酒屋チェーンやスーパーでは扱ってもらえない。また、その気もない。こつこつと個人のファンを増やしながら、大鰐町も知ってもらいたい、その一念で、年に数回上京しては、直売を展開しているのである。飲んでみたくなった方は、下記にご連絡を。

●そうま屋米酒店 〒038-0211  青森県南津軽郡大鰐町湯野川原109-7 

電話0172・48・3034 FAX 0172・48・3037

■某月某日 

京都府京丹後市で、『かがり火』ミニ交流会、丹後ワイガヤ会を開催。参加人数は21人。高知県馬路村や北海道佐呂間町の交流会とは規模が違うが、少人数だから、すぐ全員と親しくなれた。今回は網野町の森博子支局長と宮津市の嶋本良雄支局長に大変お世話になった。

参加者全員が自己紹介を兼ねて、まちづくりの取り組みを報告。それぞれが、政治や経済の混乱や喧噪をよそに、自分の住む土地で、自分のできる範囲で、まちづくりに頑張っていた。

目玉は何といっても、解禁なったばかりのズワイガニ。森さんが地元の顔見知りの漁師さんから仕入れたというカニが、交流会場に発泡スチロールの箱で積み上げられていた。

地元からの参加者でも、「網野町に生まれ育って50年ですが、こんなにカニを食べたのは初めてです」と感激していたほどだ。まして、遠くから参加した人たちは目の色が変わっていた。こういう交流会なら毎年開催してほしいと、参加者の感想があった。

本誌の読者の方が、地域単位で交流会を開催してくださるならば、どんなに少人数でも駆け付けますから、気軽にご連絡ください。

■某月某日 

 兵庫県新温泉町に「但馬寿 遊月亭」を訪ねる。遊月亭は、本誌に広告をいただいているお菓子屋さんで、「栃もち」や「エビせんべい」などを作っている。新温泉町には、テレビドラマ『夢千代日記』で有名になった湯村温泉がある。有名な温泉ではあるけれど、この町には派手さはなく、落ち着いた温泉町である(関連記事は本文の28ページ)。

遊月亭で働く阪本一美さんは、ある日突然に、東京・西神田にある編集部を訪ねて来られた。

「『かがり火』を好きになって、どんなところで編集しているのかと興味がありました」ということだったが、彼女は好奇心が芽生えたら、どこにも飛び込むフットワークの軽い女性のようであった。それ以来、交流が始まって、今年の馬路村の交流会にも遊月亭のスタッフの方たちと一緒に参加してくれた。

遊月亭の工場にお邪魔した日の朝、従業員の方が山から紅葉したツツジの一枝をとってきて、本誌歓迎のメッセージと共に玄関先を飾ってくれた。温かい歓迎ぶりに胸が熱くなった。いずれ、機会を見て、元気なこの会社も紹介させていただきたいと考えている。

■某月某日

 広島県福山市鞆に松居秀子さんを訪ねる(本文12ページ)。松居さんは、鞆の古い町家を保存するために「空き家バンク」を運営していて、町家を貸したい家主と借りたい人の仲を取り持っている。歴史的雰囲気の漂う鞆の町で、しゃれた小物の店などを始めたいといったようなニーズがあって、貸す人よりも圧倒的に、借りたい人が多いという。それだけ魅力のある町なのだ。

本誌が訪ねた日は、市内に住む藤井里野さんという方が空き家を改築して「和紙と竹の店」を開業する前夜祭が、そのお店で行われた。松居さんの取材を終えた本誌は、何の縁もないのだが、松居さんに従って、このパーティーに参加させていただいた。鞆の女性たちは突然の闖入者にもビールとごちそうを振る舞ってくれた。

本文で紹介したように、鞆の町は、埋立架橋計画で揺れているけれど、お祭りや町のイベントなどには、推進・反対の両派ともに仲良く参加していると聞いて、何だかほっとした気持ちになった。

■某月某日 

山形県長井市のフォークソンググループ「影法師」が、銀座の旅館「吉水」でミニコンサートを開催。旅館といっても地下にこぢんまりしたホールがあって、ほのぼのとしたいいコンサートだった。「影法師」は4人組なのだが、今回は、ボーカルの横澤芳一さんと、バンジョーとトークの遠藤孝太郎さんの二人だけの上京。遠藤さんには、本誌の102号に登場いただいているが、「さわのはな」という珍しい品種の米を作っている専業農家である。だから歌も、現在の農政を皮肉ったものが多い。

新曲『百姓挽歌』は、集落営農の育成・確保支援対策を風刺したものだった。 

 俺等は百姓の跡取りに生まれ

 田んぼを引き継ぎ守ってきた

 家は代々屋号で呼ばれ

 田んぼを荒らせば家の恥となった

 そんな俺等を虚仮にする

 集落営農という国の施策

 4町歩なければ 自分の名前で

 米を売れないという百姓つぶし

 ※カーン カーン カーン

 野辺の送りの鐘が鳴ります

 百姓もこの村も息絶えるでしょう

 百姓が支えたこの国もまた

■某月某日 

  岐阜県郡上市明宝(旧明宝村)に和田敏彦・明美夫妻を訪ねる(本文16ページ)。明美さんには本誌の支局長をお引き受けいただいている。数年前に、明美さんが上京して、<新・浪漫亭>でお会いした時、女学生かと見間違うほどにお若く見えたのだが、3人のお子さんがいると聞いて驚いたことがあった。ご主人の敏彦さんは、何でも手作りしてしまう人だから、明美さんにもお子さんたちにも頼もしい父親として尊敬されている。だから、息子さんは迷うことなく、農業を継ぐと言っているのだろう。お二人から農業の話を聞いて気が付いたことは、私には彼らの持っている技術や能力の百分の一もないことだった。何だか恥ずかしく、わびしくなる。農家の夫婦は仲が非常にいいという定説は、和田夫妻も例外ではなかった。岐阜方面に行った時は、和田さんを訪ねるのが楽しみになっている。

■    某月某日 

中津川市太田町で、うまいそば屋さんを発見。本誌読者の恵那市の市川佳子さんから教えてもらった「すぎむら」だ。主人の杉村達志さんは、NTTの技師だったが、11年前、アナログがデジタルに変わったころ、仕事がつまらなくなって辞めた。「自分の技術の発揮する部分がなくなり、マニュアルどおりの仕事になってしまって、やりがいがなくなったんです」という。

何かをやって食って行かねばならず、そこで選択したのが、おそば屋さん。「何気なく雑誌をめくっていてひらめいたんです」と、飄々としている。そば打ちの技術はどこにも修業に行かず、独習で身に付けた。その代わり、名だたるそば屋さんは随分食べ歩いたという。八ヶ岳山麓のそば粉を使用した、つなぎを使わない10割そばは、のどごしがさっぱりした更級系だった。中津川はお菓子屋さんの町として有名だが、そばも結構イケテル。

岐阜の坂祝町には本誌支局長の、やはり脱サラした長谷川政夫さんの「そばの里深萱ふ〜ど」がある。あちら方面に旅行なさる方は、ぜひお立ち寄りください。

「すぎむら」は毎週木曜休、営業時間は11時半から8時まで(午後2時から5時まで休憩)、電話0573・65・4019。ちなみに長谷川さんの「深萱ふ〜ど」は月曜・火曜休、TEL0574-23-0291 です。

◆114号「かがり火」日記◆

『かがり火』日記 菅原歓一

■某月某日 

静岡県旧引佐町で開催された「めだかの学校」で講演。与えられたテーマは「まちおこしむらおこし なぜ失敗するのか」というものだった。本誌は、亡くなった映画評論家の淀川長治さんがどんなつまらない映画でもけなさない、どこかいいところを見つけて褒めると言っていた精神を見習っているから、失敗を指摘するのは気が進まなかったけれど、事務局の要請だから仕方がない。参加者の皆さんには、会場を出たら私の話は忘れるという約束で、幾つかの失敗例を話した。

会場の一隅に、どこかで見たようなお顔があった。刺客の片山さつき氏に敗北した城内実氏だった。旧引佐町は選挙区なので今は地道な活動をしているらしい。積極的に名刺を配ろうとはしないで、控えめだった。次回の衆議院選挙はいつあるか分からない。再び無所属で出馬となれば、当選できるかどうかも分からない。今はただ地道な活動を展開するしかないのだろう。収入もほとんどないはずだから、経済的にも厳しいと思う。本誌は自民党でも民主党でもないけれど、名刺を交換して思わず“がんばってください”と言ってしまった。

■某月某日 

静岡県豊岡村の「しきじ旬の郷」を訪問、代表の佐野蓉子さんのお話を聞く。佐野さんは家族で加工所を経営している。みそ、ころ柿、次郎柿、よもぎ餅、しそジュース、梅ジユース、甘酒、金山寺みそ、割干し漬けなどを作っているが、添加物を入れない安全で素朴な味わいが評判で、デパートや道の駅などに出荷したものはすべて売り切れるという。

よもやま話の中で印象に残ったこと。東京の無名の業者から、「商品がいいから扱いたい」という電話があったら、まず用心しなければいけないということだった。最初の注文は小さいけれど、二度目から大量の注文が入れば、ますます怪しいとにらんだほうがいいという。大概は地方の加工所を食いものにしている悪質なインチキ商社だということだ。地方の人は、東京まで出掛けて支払いの催促をできないことをいいことに、電話で催促してもぐすぐずいって入金しない。最後は会社を倒産させてしまうか、行方をくらましてしまうようだ。地域で特産品を開発している人が販路で苦労している弱みを突いてくるから、用心しなけばならないということであった。

■某月某日 

滋賀県愛荘町に川村節子支局長を訪問する。日程が直前まで決まらず、お訪ねしたいとい

う連絡を差し上げたのが二日前だった。川村さんからは、せっかくだから地元のまちづくりの仲間に呼び掛けて「酒燗会」(交流会)を開催したいという返事をもらっていた。急な訪問だから、集まってもせいぜい4、5人だろうと思って、会場に顔を出したら何と24人もの方が参加なさっていた。もちろん『かがり火』の魅力ではなく、呼び掛け人たちのお名前の力である。

ちなみに、川村さんが発信したメールは、下記のような文章だった。

「朝夕めっきり涼しくなってきましたが、皆さんいかがお過ごしですか?『かがり火』発行人の菅原歓一さんが滋賀銀行のサタデー起業塾『しがぎん草津ビル』で講演後、愛荘町に立ち寄られることになりました。せっかくの機会ですので、“わがまち”のことや“よそのまちの話”も聞きながら、みんなで交流を深め、“ちょっと元気になりたいなぁ”と下記のとおり『酒燗会』を企画しました。日程的に少ない告知で申し訳ありませんが、ぜひ、ご参加いただきますようお知らせします。ご出席いただける方は、9月8日午前中までにFAXまたは、TELでお知らせください。翌日は、取材を予定されています。“うちらの取材してよ”大歓迎です。詳しくは、役場政策調整室内川村までご連絡ください」

発起人として、梅田満寿雄、渡部幹雄、青木清司、川村節子、久保川瑞穂という方々のお名前があったから、おそらくこの人たちからの呼び掛けならば何はさておき参加しなければなるまいということだったのだろう。自己紹介では「何の集まりなのかよく分からんかったけれど、梅田さんの名前があったので、とにかく予定を変更して来ました。ところで今日は何の会ですか?」という人もいた。これでいいのである。
愛荘町の人は酒が強い。開宴から3時間過ぎても飲み続け、その後はスナックにもお付き合いすることになった。しかし、おかげで新たに3人の支局長が誕生した。実り多き旅だった。

某月某日 

島根県邑南町に、NPO法人「ひろしまね」の小田博之さんを訪ねる(本文26ページ)。広島県と島根県の県境をまたいで活動しているNPOだから、このネーミングはまさしくぴったりだ。夜、「ひろしまね」の事務所になっている古民家で、小田さん、メンバーの富永平八郎さん、秋本利彦さん、それに松江市から、支局長の森永壽・衿夏夫妻が駆け付けてくれて、炭火の網焼きパーティーを開いてくれた。アユの干物がうまかった。これ

にうるか(アユの内臓の塩辛)をなすり付けて食うと一層うまいことを発見。

東京に戻ってから、この夜、録音したテープを聞き直していたら、じーんと来た。
各人各様に、寂れてゆく村への想いを語っている。
「そりゃあ、自分の生まれた土地にぺんぺん草が生えて、誰もおらんようになったら、悲しいよ。悲しいけれど仕方がないんだよ」と、秋本さんが、酔って、ろれつが回らなくなった舌で、同じ話を繰り返して、自分を納得させているのが切なかった。

某月某日 

岡山県生活環境部県民生活課パートナーシップ企画班からの依頼で、「ふるさとづくりももたろう塾」で講演する。与えられたテーマは「“変”差値人間が地域を変える」というものだった。依頼先から、「変差値人間」というキーワードを提示されたのは初めてなので、うれしかった。この言葉も徐々に市民権を得ているらしい。この塾は、地域づくりに関心のある県民を県が公募しているもので、今年は第10期に当たるという。担当の池田義幸さんが、「今回は先生のお話を聞きたいと、欠席した人は一人もおりません」とヨイショしてくれたので、気持ち良く話すことができた。

某月某日 

岡山県真庭市に辻本店の辻均一郎社長を訪ねる(本文28ページ)。<新・浪漫亭>に出資いただいたのに、何のお返しもできなかったことをおわびする。

夜は、支局長の宮永優さんが声を掛けてくれたメンバーと、辻本店の経営する酒蔵レストラン「西蔵」で交流会。岡山県保健福祉部の森文子さん、美作県民局地域政策部の上田貴子さん、岡山県知事室の菱川満さん、真庭市の宮永優支局長、高木秀朗さん、森岡和之さん、佐山宣夫さん、それに吉備中央町の岡田清支局長、旧落合町の看板屋さんである青木信治さん。

※その夜は、旧加茂川町の岡田清さん、旧川上村の宮永優さんの両支局長と共に、青木信治さん宅に泊めていただく。青木さんとは、今年6月に、馬路村の『かがり火』支局長会議でお目にかかっていた。お宅にお邪魔して驚いた。川を見下ろすところに露天風呂があり、焼き肉ハウスがあり、ホタルを鑑賞するための立派な橋まであった。すべて手作りとのこと。居間には、巨大なスクリーンのホームシアターがあって、松田聖子ちゃんのDVDを見ながら、夜が更けるまでおしゃべりを楽しんだ。

某月某日 

馬路村農業協同組合の東谷望史組合長と一緒に、福島県矢祭町を訪問する。矢祭町がユズを使用して特産品の開発を企画しているために、東谷さんが関係者にノウハウを公開する講演のためだった。講演の翌日、出席した町民から根本良一町長あてに、何本も電話が入ったという。

「町長は、開発を甘く考えているんでねえの。東谷さんちゅう人は、作業中にワイヤーで額を割る大けがまでして、命懸けだったと言うんでねえの。いくら町長が号令かけたって、簡単にできるもんじゃねえってことがよーく分かった」という感想だったらしい。矢祭町の町民は、東谷さんの話を聞きっ放しにしないで、真剣に考えている。民度の高いことの証明である。

 矢祭町では、柔剣道場を改修して図書館建設を準備中だが、図書は全国各地で眠っている蔵書を寄贈してもらおうと考えた。そのことが新聞で報じられ、矢祭町の知名度もあるのだろうけれど、9月20日現在で、送られてきた本は19万3630冊。保管所となっている山村開発センターは本であふれていた。矢祭町のまちづくりのアイデアは尽きることがない。

今回、根本町長には、隣町の茨城県大子町にある「袋田の滝」にもご案内いただいたし、町長室で「タンメン」までごちそうになってしまった。あらためて御礼を申し上げます。

面白人間交流会

           「丹後ワイガヤ会」のご案内

 昨年、大阪支局長の岸本千枝子さんが開催してくれた『かがり火・ミニ支局長会議&読者の集い』の第二回を京丹後市で開催させていただくことになりました。関西地区の支局長および読者の皆さんが一堂に会して、解禁になったばかりのカニを食しながら、まちづくりの情報を交換し、親交を深めたいと思います。もちろん、関西地区以外からの参加も歓迎です。大勢のご参加をお待ちしております。

   京丹後市・琴引浜支局長 森博子

 開催日  平成18年11月11日(土)〜11月12日(日)

 開催場所  京丹後市網野町小浜 「笑楽」TEL 0772・72・6354

  参加費   1万5000円 (宿泊費・交流会費・朝食費・昼食費・温泉入浴費含む)

  開催内容  11日 受付:午後3時  開会: 午後3時30分

       参加者によるまちづくり報告「わが町の自慢とふるさとの名人たち」

●     参加者全員からスピーチをしていただきます。

       午後6時30分 食談会 〜丹後の海の幸を囲んで〜

       午後8時30分 夜なべ放談会  

       12日 「丹後の名人を訪ねるショートジャーニー」

・     版画家 幻 一氏 ・旧家「稲葉邸」見学・網野町じゃんじゃん祭り見物・催し市場散策(地元産品直販)ほか。

参加申し込みおよび問い合わせ先 京丹後ふるさと農園 森博子まで。

       TEL&FAX 0772・72・0144 またはTEL 0772・72・0556

                    FAX 0772・72・4885

              Mail  furusato@kaisoutya.com 

申し込み締切 10月30日 

もくじ
◆130号「かがり火」日記◆
◆129号「かがり火」日記◆
◆128号「かがり火」日記◆
◆127号「かがり火」日記◆
◆126号「かがり火」日記◆
125号「かがり火」日記
◆にっき◆

某月某日 浜松市の「ホテルリステル浜名湖」で開催された「三遠南信発見交流フォーラムin遠州」に参加。その後、フォーラムの仕掛け人の水島加寿代さん、石の彫刻家の耳塚信博さん、パネラーとして参加していた長野県天龍村の関京子さんと一緒に引佐町に移動、「てんてんゴーしぶ川」に泊まる。前回、お邪魔したときは、山の斜面に建っているバンガローだった。夜中にすき間風がぴゅーぴゅー入ってきて、ずいぶん寒い思いをした記憶があるが、それがもう15年も前のことだと、本誌支局長伊藤茂男さんに言われて、つくづく歳月の流れの速いことに驚く。そういえばあの日は、形もタレもさまざまな五平餅を試食した「五平餅サミット」の夜だった。

久しぶりのキャンプ場には立派なコテージができていた。地域づくりの仲間が集まって、焼き肉パーティーを開いてくれた。感謝。

某月某日 熊本県庁に金澤和夫副知事を表敬訪問。金澤さんとは、彼が山形県遊佐町の助役をしているときに知り合った。気さくでフットワークの軽い方だったので、初対面のときから好印象を持った。金澤さんが補佐する熊本県の知事は潮谷義子さん、彼女が慈愛園乳児ホームの園長だったときに取材で訪ねたことがある。潮谷さん自ら施設を案内してくれた。その彼女がまさか知事になるとは思わなかったが、現在は潮谷さんが知事、金澤さんが副知事、不思議な気がする。

その夜は、「山猫屋」で開催された「『ドリーム』読者と『かがり火』支局長の交流会」に出席。『ドリーム』というのは、食と農をテーマにしたミニコミ誌だが、全国に読者がいる。今回の交流会は、福本建明支局長や『ドリーム』の発行責任者の高木正三さんや、ゴーヤー洋子さんにお骨折りをいただき、盛大な交流会になった。

今や伝説となってしまったレストラン「山猫屋」はすでに閉店、お嬢さんが雑貨と洋服を扱っているというけれど、この日は特別に一日だけレストランを営業、洋子さんが料理の腕を振るってくれた。

熊本県には“変”差値の高い人が多いようだ。この席で、長友清冨さんという方から、小生の名前入りの玄米おにぎりをプレゼントされた。なぜ名前入りなのかを不思議に思って、そのわけを寄稿いただいたのが、本文30ページの「出会いの演出学」である。ご一読賜りたい。

その夜は、吉田富明支局長のお宅に泊めていただく。タイラギの粕漬けの珍味、東京では絶対に味わえない珍味でした。おかあさんの作ってくれたぼた餅も、おいしくいただきました。多謝。

某月某日 佐賀県を訪問したならば、本誌とは旧知の古川知事の前を素通りできない。メールを差し上げると、雑誌の取材で唐津市の川島豆腐店にいるので、そちらで会いたいという返事だった。ちょうど、本誌も訪問する予定だったので大変好都合だった(本文16ページ)。朝日新聞の調査によれば、古川さんは、県民の支持率が岩手県の増田知事、鳥取県の片山知事に次いで3位だったけれど、知事のイメージを変えた。これまでの知事といえば、県政のドン的なイメージだったが、彼の登場によって、知事でも市民的レベルでフランクに話し合えるという雰囲気を醸成した。政治のアカが身に付いていないさわやかさがある。ホームページには、ご自分の年収から何からすべてオープンにしている。何もここまで公表することもないと思うのだが、青天白日の身で県政を行いたいという意思の表れなのだろう。

 最近では、佐賀県が、プルサーマルを受け入れたことが報道された。日本初のMOX燃料使用が、かくもすんなり住民に受け入れられたのは珍しく思ったが、これも県民の古川知事に対する信頼なのだろう。

某月某日 福岡県久留米市で開催されたグリーンツーリズム研究会「さいたえん」の総会に出席、最近のまちづくりについて話をさせていただく。「さいたえん」は、本誌支局長の眞子雅允さんたちが、新しい農家民泊の形態を開発しようと勉強会を開催している団体だ。農水省がいかに旗を振っても、日本のグリーン・ツーリズムが思うように広がらない原因はどこにあるのかを、いろいろな角度から研究している。いずれ本誌でも特集を組んで、「さいたえん」の詳しい活動内容をお伝えしたいと思っている。

また、九州に行くたびに眞子さんが車で案内してくれるので大変に助かっている。おかげで、今回も一度訪ねてみたいと思っていた、福岡県二条町、志摩町を見ることができた。あらためて感謝を申し上げたい。

某月某日 京都府長岡京市の杉谷保憲氏宅へ泊まる(本文27ページ)。初対面の方のお宅に泊まるのはいささか図々しいとは思ったけれど、お言葉に甘えてしまった。おかげで、みっちりタケノコの講義を聞くことができた。さすが、元テレビマンだけあって、お話は論理的で実証的だった。藤本義一さんと安藤孝子さんが司会だったときの「11PM」のプロデューサーだったと聞いて、非常に懐かしかった。あのころは私もまだ雑誌記者で読売テレビのロビーなどをうろうろしていたこともある。京都のアンタカさんの店にも行ったことを思い出した。

某月某日 大分県久住町に赴任していた総務省(旧自治省)の山田朝夫氏が上京、「びすとろかがり火」で飲む。山田さんは“流しの国家公務員”を自認している、変わったキャリアだ。

久住町の後、臼杵市に移り、今度は愛知県安城市の助役として赴任することになったという。「私はもう霞が関では使い物になりません」と笑っていたけれど、それは何より、地方の状況を理屈ではなく、皮膚感覚で理解できることになったということなので、威張ってもいいことだと思う。山田さんのように、霞が関の官僚が、進んで町や村で働きたいという風潮か゛生まれれば、本当の行政改革につながると思うのだが。

某月某日 東京中野の「なかの芸能小劇場」に、農水省の田中卓二さんの『ふゆみずたんぼトーク& コンサート』を聞きに行く。このコンサートには、<新・浪漫亭>の常連だった、アミエルプロジェクトの松山仁さんや声優の結まあるさん、それに前号に「わが友、一ノ矢君」を書いてくれたフリーアナウンサーの小林賢二さんも参加していて、家族的ないい雰囲気のコンサートだった。田中さんも変わった官僚だが、どうも本誌は変わった官僚たちとだけ親しくなる。

某月某日 本誌の「若者は荒野を目指す」に以前、寄稿してくれた早大の藤田圭子さんと、お父さんの藤田光弘さんと新宿プリンスホテルで会う。圭子さんは、今春、早大を卒業して愛媛新聞社に就職が決まった。藤田光弘さんに同席いただいたのは、宇和島市遊子町水荷浦の養殖の厳しさを伺うためだった。

 水荷浦はハマチの養殖が主要な産業なのだが、昔は1kg1000円したものが、年々、魚価が下がって今は500円だという。魚にやる餌代は変わらないから、やればやるほど赤字が出る状態だという。漁協が破綻する危険性もあるが、それじゃどんな手を打てばいいのかというと、妙案はない。

圭子さんは、生まれ故郷の水荷浦をこよなく愛している。都会暮らしを希望する若い人が多いなかで、彼女のふるさとへの想いが強いことに打たれた。この気持ちを大切にしてあげたい。何とか水荷浦再生のお手伝いをしたいと思うのである。読者諸兄姉のお知恵もお借りしたいと思うのでよろしく。

某月某日 北海道開発局の小町谷信彦さんが上京、物置小屋のような編集部を訪ねてくれた。彼とは昔、アメリカにオートキャンプ場の視察に行ったとき以来の付き合いである。

話題は、小泉政権の命運、行政改革の行方、北海道の官依存体質、首長の才覚など多岐にわたったが波長が、一致するのでおしゃべりしていて楽しい人だ。

行政マンの苦労を、除雪を例にして話してくれた。住民は、かつては自分たちでやっていた自宅の私道や小屋周辺までの除雪を要求するようになった。しかし、そこまでの除雪費用を捻出するためには、福祉か教育か、ほかの予算を削減しなければいけない。全体の支出の中で優先順位を決めるしかないことをなかなか分かってもらえない。それをマスコミが、“非情な行政の対応”とか何とか書きたてる。この意識をもっと成熟したものにしないと、地方はますます住みにくくなるという。全く同感であった。

 公務員天国といわれているけれど、北海道開発局は53歳前後で肩たたきに遭うらしい。天下りを一方的に批判するのは簡単だが、それだけで問題は解決しない。

◆鈴木繁夫さん、渡辺欣之助さんを偲ぶ会◆

●3月4日、「鈴木繁夫さん、渡辺欣之助さんを偲ぶ会」が市谷柳町の<びすとろ かがり火>で開催されました。亡くなって2カ月も経っていて、しかも葬儀ではありませんから“しめやかに”というよりも、やや晴れやかな雰囲気も交じってはいましたが、しみじみと心のこもったいい会だったと思います。

●北海道から九州まで48人の参加がありました。いずれも鈴木さんの毒舌にさらされ、鍛えられた面々です。お互いに久しぶりの再会でもあり、同窓会という雰囲気もありました。

参加者の一人は、「あれほど活躍した鈴木さんの偲ぶ会にしては参加者は少なくありませんか。100人ぐらいは集まっても当然と思うのですが・・・」という感想がありました。

僕はそうは思いませんでした。

脳梗塞で倒れてから10年です。千葉の鴨川市、そのあと鎌取の「松風園」で、ほとんど世間とは隔絶した療養生活でしたから、もう亡くなってしまったと思い込んでいた人もいたはずです。生きていたって、せせこましくあちこちに顔を出していないと、「いま、あの人はどうしてる」と過去の範疇に入れられてしまう時代ですから、これだけの方が駆けつけてくださったのはまさに鈴木さん、渡辺さんの人徳というものでしょう。

●会の司会・進行は、青森県田子町の山崎美代志さんでした。彼の南部訛りは、たちまち緊張した雰囲気を解きほぐし、会場内を温かい空気で包んでしまいます。

北海道滝川市の水口正之さんから始まって、順に南に下っていって最後は長崎市の大保稲実さんまで全員に思い出を語っていただきました。

福島県の「国立那須甲子少年自然の家」に勤務の水澤豊子さんには鈴木さん、渡辺さんの思い出を語っていただいた後で、鹿児島市の渡辺夫人から届いた手紙を朗読していただきました。夫人は、この会に駆けつけたい気持ちはやまやまだったと思いますが、事情で上京できず、今の心情を綴ってくれたものです。この手紙は菅原宛の私信ではありましたが、夫への愛情があふれていて、生前の渡辺さんの人柄を伝える内容だったので、私の独断で参加者のみなさんに聞いていただいたものです。

何人かの人が、ぜひコピーを取ってほしいとおっしゃったほど、亡き夫を追慕するいい手紙でした。

渡辺夫人からは、鹿児島の「薩摩揚げ」と焼酎の「伊佐美」「伍代」と漬け物を送ってくださいました。

●焼酎といえば、湯布院の亀の井別荘の中谷健太郎さんから宇佐市四ッ谷酒造の逸品「兼八」を送っていただきました。

 私が推察するに、生前、鈴木さんは中谷さんとはそんなに深い親交があったとは思われません。地域づくりのシンポジウムや講演会などで、何度かお会いした程度ではなかったかと思うのです。

 それでも、浪漫亭がつぶれ、新・浪漫亭として再生しようとしたとき、すぐに発起人に名前を連ねていただき、株主にもなってくれました。

 お店には足を運んでいただく機会はありませんでしたが、つねに気に掛けていただいたことをあらためて心より感謝申し上げる次第です。

●正直に申せば、鈴木さんの思想や哲学がどんなものだったかよく分かりません。元気なうちにお付き合いできたのがたったの3年で、倒れて、喋れなくなってから10年、合わせて13年のお付き合いでした。

 鈴木さんの思想は分かりませんでしたけれど、徹頭徹尾、威張っている人は嫌いな人で弱い者の味方でした。

 まだ鴨川市の太海で療養していたころです。お見舞いに行っても、鈴木さんとはしゃべれませんから、自然におかあさんの雪子さんと会話することになります。そのときの言葉は今でもはっきり覚えています。

「この子は、小さいときから優しい子でしたよ。繁夫が小学校のころはまだ世の中が貧しくてねえ。繁夫は毎日、友だちを家に連れてきて、“おふくろ、こいつの家は貧乏なんだ。何か食べさせてやってくれないか”ってささやくんですよ」

 この優しさは倒れるまで変わることはなかったと思います。

◆2月28日◆

●2月28日、西武新宿線花小金井駅10時31分発の上り急行に乗った。発車してから10数分後に、電車はガターンと大きく揺れて緊急停車した。

「ただいま人身事故が発生しました。乗客の皆様にはお急ぎのところ大変ご迷惑をおかけいたします。これから救助活動を行いますので・・・」というアナウンスがあった。上井草駅の近くだった。

7,8分経って、電車の窓からは警察官や駅員や東京消防庁の人たちが慌ただしく駆け付けて来るところを見ることができた。

 車掌は度々アナウンスを繰り返していたが、「遺体が電車に巻き込まれて出ないので、電車を少し動かします」というアナウンスもあった。

 中年の女性が、「いやねぇ」と隣の女性に話し掛けていた。

●乗客は次々に携帯電話を掛け始めた。聞き耳を立てていたわけではないけれど、派遣社員が事故に遭ったことを本社に連絡し、派遣先にはどう連絡したらいいか指示を仰いでいた。また、指定された面接の時間に遅れますと謝っている若い女性もいた。

 遺体は私の乗っている車両の真下にあるらしい。しかし、処理している人たちの姿は見えても、遺体は全く見えなかった。

●40分後、「大変ご迷惑をおかけしました。処理が終わりましたので、ただいまから電車は発車します」というアナウンスがあって、電車は再び動き出した。

 私は飛び込んだ人の性別も年齢も分からない。その日の夕刊にも朝刊にもこの事故の記事は出ていなかった。もちろんテレビのニユースでは報道しない。

 その人は、電車を40分間止めただけで、世間から完全に忘れ去られた。電車が高田馬場駅に着いたときは乗客は何事もなかったように四方に散っていった。

 自分の乗った電車に、飛び込まれたのはこれで2回目である。前回は3年前の冬、熊本に出張のため、朝5時過ぎに武蔵小金井駅から中央線に乗ったときに遭遇した。まだ暗いうちから、電車に飛び込まなければならなかった人のことを思って暗然とした。

3年間で2回というのは、確率的にかなり高いのではないか。

自殺者の多いことを政治や小泉首相のせいにする気はない。われわれは電車への飛び込みが日常的な風景になってしまった時代を生きている。

◆2月23日から26日まで、福岡、熊本、佐賀を回りました。◆

●2月23日から26日まで、福岡、熊本、佐賀を回りました。今回のルートは、福岡空港―荒尾市―熊本市―玉名市―唐津市―呼子町―志摩町―福岡市―久留米市―福岡空港というものです。

 今回も自分の住む町を元気にするために頑張っている多くの“変”差値人間と出会うことが出来ました。呼子町では、活きたままのイカを宅配で全国に送っている「いか道楽」の宮本幸治社長、同じ呼子町で甘夏のゼリーを考案して売り上げ急伸の甘夏かあちゃんの山口めぐみさん、今や「ざる豆腐」では全国区になった唐津市の川島豆腐店の川島義政社長などのお話を伺いました。どんなに刺激的な話だったかは次号の『かがり火』をご期待ください。

唐津市では、短い時間でしたが、一昨年の『かがり火』の100号記念大交流会にご参加いただいた古川康知事と再会できました。

●23日の夜には、熊本市の山猫屋で、『かがり火』と『ドリーム』の合同交流会に参加しました。『ドリーム』とは、九州農政局に勤務する高木正三さんが始めたミニコミ誌ですが、これが知事から大学教授まで、また北海道から沖縄まで読者を有しているという小さいながらばかにできないミニコミです。

 この交流会には『かがり火』側からは、球磨村の日隠啓一さん、水俣市の沢畑亨さん、合志町の齋藤真理子さん、熊本市の福本建明さんらの支局長が参加してくれました。

 幹事を務めていただいた高木正三さん、福本建明さん、おいしい料理をたくさんつくってくれたゴーヤー洋子さんにあらためて御礼を申し上げます。

●「山猫屋」は熊本市の地域づくりのキーパーソンでもあるゴーヤー洋子さんが経営していたレストランで、食と農、環境とグリーンツーリズムなどに関心のある人たちのたまり場でした。今は飲食はやめて、衣料、雑貨類をお嬢さんと一緒に販売していますが、この日だけは特別に一日だけ営業してくれたというわけです。おかげで念願の山猫屋訪問がやっと叶いました。

●「新・浪漫亭」の経営でさんざん苦労してきた私は、レストラン経営で苦労してきたゴーヤー洋子さんとは話が合うので、ときどきメールを交換しています。

 熊本市を訪ねた最大の目的は、熊本県の副知事の金澤和夫さんと久しぶりに一杯やることだったのですが、せっかくだからというので高木さんが積極的に声をかけてくれたおかげで小さな「山猫屋」は酸欠状態になるほどの人が集まってくれました。

●九州から戻った翌日は、防衛庁が歴史的建造物として保存している旧陸軍士官学校の講堂を見学に行きました。A級戦犯が裁かれた東京裁判の会場となった場所です。三島由紀夫が自決した総監室も見学しました。昭和史を読むたびに陸軍参謀本部とか作戦課とか参謀総長とかという言葉が出てくるのですが、この見学で具体的なイメージを少しだけつかめたような気がしました。

見学の最後は、館長の井上康史さんのご好意で、19階の見晴らしのいいレストランで、制服を着た人たちに囲まれて食事をすることができました。

三遠南信発見交流フォーラムin遠州◆

●2月19日、浜松市の「ホテルリステル浜名湖」で開催された、「三遠南信発見交流フォーラムin遠州」に参加。このフォーラムのサブタイトルは〜「みち」でつなぐ三遠南信地域のもの・まち・こころ〜というものだが、「みち」という言葉が入っていたので、ははあーんなるほど、大体、どういう催しかは察しがついた。主催は特定非営利活動法人三遠南信アミ。このNPOの副理事で、フリーライターの水島加寿代さんに誘われて参加したのだった。

●何となれば、水島さんは三遠南信のマドンナともいうべき美人のお嬢さんで、おまけに『かがり火』の読者である。水茎のごとき筆跡で、「ぜひお出でください」と書かれていたもんだから、テーマがどう、スポンサーが誰、なんて難しいことは抜きにして参加せねばなるまいと馳せ参じたのであった。あとから聞くところによると、この愛情溢れる案内状をラブレターと勘違いして参加した人も少なくなかったようだ。

三遠南信発見交流フォーラムin遠州の会場で▲
●今回は、パネリストでも何でもなく一参加者だっから、甚だ気楽だったが、水島さんの手紙に、「東京を拠点にして道を介しながら全国をめぐっている菅原さんに、是非会場からの発言の際にはご意見おききできると嬉しいです。地域が盛り上がっていくためのプラットホームづくり。そのための道への期待とか、道を活かした地域の動き方とか・・・」という一文があった。今回のスポンサーである国交省に気を使っている様子がありあり。もちろん、こちらも「現在の道路行政には文句を言いたい」と突き刺さるほど大人気なくはないが、かといって道路をもっとつくってほしいとヨイッショするほどおめでたくもない。

●だから、もし指名されたら水島さんのメンツも立て、かつ当方の言い分も立つように次のような発言をするつもりだった。

「昨年、奄美大島の加計呂麻島で『かがり火』の支局長会議を行いました。東京と大阪、九州から約30名の参加者がありました。加計呂麻島に着くと、参加者は、“何と海がきれいなんでしょう”“観光化されていない自然は素晴らしい”と嘆声をあげました。“いつまでも俗化されないでこのままの自然を守ってほしい”と言う人もおりました。

 ところが加計呂麻島は場所によっては携帯電話が通じないんです。いらいらしてくる人も出てきます。先ほどまで、“不便を感じるぐらいのほうが情緒があるね”って言っていた人が、“これじゃ都会から人を呼ぶのは無理だ”なんて言い出す始末です。

 つまり、人は時と場合に応じて、便利が好きになったり、不便が好きになったりするもんだなと思いました。

“道”も同じです。田舎の道をのんびり歩いているのに、車が激しく往来すると“何もこんなところまで自動車で来る必要なんかないんだ、危なくってしょうがない”と腹を立てます。ところがその腹を立てた人が運転する側になると、“田舎はちんたら歩いている人がいて危なくってしょうがない”とぶつぶついいます。

 大体、私はひねくれていますから、高速道路を走るときに感じる爽快さというのは、自分が走っている上り車線はがらがらでスイスイ、隣の下り車線は大渋滞というときです。反対に自分が上りの大渋滞に巻き込まれているのに、下りの車線がガラガラだったりすると、下りを走る人間を憎悪します。

 人は、立場によって態度が変わるんです。しかし、国が道路をつくろうとなると、見事に推進派と反対派に別れてしまう。推進派はあるゆる手段を駆使して道路整備を急ごうとする。反対派は鉢巻きをしめて反対する。こうなってしまえば、本来の道の持つ機能や役割といったものから議論が離れて、賛成か反対かになってしまう。道にまつわるもろもろのディテールがすっかり抜け落ちてしまう。日本の道路に情緒が欠けているように思うのは、このような二者択一されたとげとげしい争いの後で、つくられたものが多いからではないかと思うのです。

 結論はばかばかしいほど単純ですが、つくってもらいたい道もあるし、つくってもらいたくない道もあるということなんです」

●幸か不幸か、時間がなくなって会場からの発言機会はなかった。おかげで参加者は小生のヌエ的駄弁を聞かずに済んだのだった。

 フォーラムの後は、引佐町渋川のキャンプ場「てんてんゴー」に移動して交流会。これは楽しかった。彫刻家、フリーのエンジニア、お茶農家、電器屋さん、大工さん、郵便局員など、多彩なおもしろ人間が集まって盛り上がった。

 引佐町で出会った“変”差値人間については、次号『かがり火』の111号でご紹介いたします。

◆ 鈴木繁夫さん、渡辺欣之助さんを偲ぶ会 ◆

3月4日(土)にビストロかがり火(旧[新・浪漫亭])で開催

寒中お見舞い申し上げます。
 平成8年に脳梗塞で倒れ、かねて療養中であった《浪漫亭》主人・鈴木繁夫さんが、昨年12月27日逝去されました。また後を追うように1月5日、同じく療養中であった店長の渡辺欣之助さんも旅立ってしまいました。
 鈴木さんは65歳、渡辺さんは58歳、お二人とも日本人の平均寿命からすれば、誠に短い人生でした。
 しかし、鈴木さんも渡辺さんもこの世に思い残すことは何もなかっただろうと思うのです。お二人とも好きなことばかりをやってきたようですし、嫌いなことは決してやらない方々でした。
 富や名声は手に入れることはできませんでしたが、「そんなことは俺たちの知ったこっちゃねえ」と、天国で大笑していることと思います。
 3月4日、お二人を偲ぶ会を開催したいと思います。生前、ご親交のあった方々にはぜひご参集いただき、思い出などを語り合っていただければ幸いです。
         「鈴木繁夫さん・渡辺欣之助さんを偲ぶ会」実行委員会

  開催日   3月4日(土曜日)
  会 場    びすとろ・かがり火 (旧《新・浪漫亭》TEL 03-3266-0877)
  第1部 午後4時〜 「偲ぶ集い」
  第2部 午後5時〜 「思い出を語る会」(会費5000円)
   ※誠にお手数ですが、「思い出を語る会にご出席くださいます方は、ご出席の旨を2月25日まで
  にFAX03-5276-1050 あるいはメール kagaribi@ruby.famille.ne.jpにてご連絡いただければ幸いです。
   ※なお、当日は平服でご出席ください。
   ※お問い合わせ TEL / 03-5276-1051